おうし座
まことの言葉
嵐雪と芭蕉
今週のおうし座は、「花に対して信(まこと)」という嵐雪の言葉のごとし。あるいは、誰かからの教えや物事の核心に触れていこうとするような星回り。
芭蕉の弟子である嵐雪が編んだ『或時集』の序文には次のようにあります。
「花に対して信なくんば、花うらみあらん。句は是にならふべし。花に問へば花かたることあり。姿はそれにしたがふべし、と或る時教ゆ」
この「信」は「誠」にも「実」にも通じ、自己と対象とを共に天然自然の理(ことわり)に委ねて誠実であること、そして自己を空しくしていくことで、対象に肉薄し、一体化していくことを、ここでは「まこと」と言っているのでしょう。
「花」は、この序文こそ師である芭蕉の教えの核心であり、自分の俳論の最重要部分なのだと、嵐雪は考えていたのかも知れません。
自然の万象にたいして、「まこと」をもって向き合うとき、「花」もまたそこに姿を現し、語るべきこと、すなわち「句」もまた十全にかたちを結んでいく。
しかし、「まこと」を持てず、恣意的に意味を築きすぎたり、逆に受け身すぎてしまえば、「花」は恨みの気持ちを心中に抱いてその姿を現さず、語るべきことも浮かんでこないのだ、と。
22日(日)に冬至を迎えていくまでの一週間である今週のあなたもまた、師を慕う嵐雪の気持ちがどこか自分事のように身に沁みていくのではないでしょうか。
真似ることに馴れてはいけない
注意しなければならないのは、師を慕うということと、師を真似るということは違うということ。
俳句の世界では師弟関係が強く残っていますが、一方でその弊害をいかに避けるかという問題意識も同じくらい強く、その勘所について俳人の稲畑汀子さんは次のように書いていました。
「人の作品の一部を貰ったり、真似事をしたりすることに馴れてしまうのは恐ろしい。自分の発想がたまたまそのようなことに当てはまったならば、それらは潔く捨てなければならないであろう。すでに、これまで作られた俳句は限りなく多いと思う。同じ発想を持つ人はたくさんいるのではないかとも思う。自然に同じ発想の句が出来たなら、それは潔く自分の句帳にだけ残しておくのもいいが、私は自分の句帳からも消して仕舞うのがよいと思っている。」(「俳句随想」、2015年8月)
この「潔く捨てなければならない」ことが、誰も見ていないところで実際に出来るかどうかが、今週のあなたのひとつの分かれ目になってくるでしょう。
今週のキーワード
慕う≠真似る