おうし座
自分の悦びを選択する
そら豆に込めた美学
今週のおうし座は、「そら豆やまことに青き味したり」(細見綾子)という句のごとし。あるいは、自分にとって何が悦びなのかを見定めた上で、選んでいくような星回り。
そら豆は初夏の季語で、まだ相当気の早い話ではありますが、掲句は戦前に出された句集に収録された作者の代表句の1つです。
一見純朴で無造作にも見える句ではありますが、当時、一体ほかの誰がそら豆を「青き味」などと言えたでしょうか。理屈ではない仕方で、ものの本質を言い当ててしまうような作者のたぐいまれな感覚の深さ鋭さを印象付けると同時に、どこかエロティシズムを感じさせる句でもあります。
例えば、かつて古代ギリシャの哲学集団ピタゴラス派では、教団内の戒律においてそら豆を食べることを厳禁しました。
その理由を中沢新一さんなどは、そら豆の形態が女性器を連想させるため、それを口に含むことだけに限らず、清純を重んじる教団内に持ち込むことさえ禁じたのであろうという説を取りあげていました。
つまり、彼らにとってそら豆は「悦び」に他ならず、それゆえにあえて遠ざけたという訳です。ある意味で、彼らは自分の選ぼうとしている「悦び」の難しさがよく分かっていたのだとも言えるかもしれませんね。
緑がいっせいに燃え立つ初夏の生まれであるおうし座にとって、20日(水)におとめ座で満月を迎える今週は改めて自分なりの悦び、自分なりの美学や美意識といったものを確かめていくタイミングとなっていきそうです。
「選ぶ」と「選ばれる」
使う言葉を選ぶということは、賭けをすることに似ています。そして、賭けない人があまり魅力的に感じられないのは、恐らく「選ぶ」ことへの恐れが透けて見えるからでしょう。
「賭けない」ことを美徳とし、「選ばれる」ための努力を重ね、人並みの幸せを手に入れようと考える。そのこと自体は決して間違いではありませんが、しかし、そうしていくことで人は確実にツキの手応えを見失っていきます。
もしそんな人が何かの拍子でいざ賭けにのったとしても、すでにツキは離れていますから、次第に賭けどころが分からなくなってチャンスを自分で潰してしまうでしょう。いわば、普段から「選ぶ」ことを避けてきたツケが回ってくる訳です。
その意味で今週は、自分が「選ぶ」ことを望むの人間なのか、「選ばれる」ことを望む人間なのか、それこそ丁か半かのつもりで、ひとつ賭けてみるのも一興でしょう。
今週のキーワード
戒律と美学は表裏一体