おうし座
現実を咀嚼する
理屈抜きにものを考えるということ
今週のおうし座は、くるくると回転する舌のごとし。あるいは、これまで当たり前のように触れていた現実を、少し異なる角度から捉えなおしていくような星回り。
おそらく人間の持っている最も混合的な器官は耳か舌でしょう。例えば、カレーを食べた後にアイスを食べたり、餃子を食べた直後に梅干しを食べたりもできる。どれだけ頑固な保守主義者であっても、舌の混血のスピードにはまったく敵わない。
これは理屈ぬきに人間というものがそうできてしまっている訳です。
そしてこのことは「まる」とか「round」とか発音しているときの舌を改めて意識してみると、そこでもやはり理屈抜きにすでに舌のかたちが意味そのものを実現してしまっていることが見て取れます。
これは試しに「しかく」とか「square」と発音してみると、舌がかちかち、がちがちしてちゃんと対照的になっていることからも分かるかと思います。頭で考えたり分かったりする以前に、身体の方で丸いものとしかくいものとを区別しているんですね。
ところが、今の私たちはどういう訳か「vision」と言えば「思想」のことであったり、視野とか視点とか、「~して‟みる”」など、視覚的な比喩や視覚的な言葉のなかで、知的な物言いを再構成させる傾向にあります。
いて座で月齢ゼロの新月を迎える今週は、そうして普段なんとなく使ってしまっている言葉遣いや思考習慣を‟舐める”ように味わい直していくところから新しいスタートを切っていきましょう。
機械的金縛り状態
「時間というのは、ぬれた手の中の蛇のようなものだと思う。しっかりつかもうとすればするほど、すべり出てしまう。自分で、かえって遠ざけてしまう。パパラギはいつも、伸ばした手で時間のあとを追っかけて行き、時間に日なたぼっこのヒマさえ与えない。(中略)私たちは、哀れな、迷えるパパラギを、狂気から救ってやらねばならない。時間を取りもどしてやらねばならない。私たちは、パパラギの小さな丸い時間機械を打ちこわし、彼らに教えてやらねばならない。日の出から日の入りまで、ひとりの人間には使い切れないほどたくさんの時間があることを。」(エーリッヒ・ショイルマン、『パパラギ』)
確かに私たちは次から次に投げ渡される情報の処理に忙殺されて、肝心の頭やハートがお留守になってしまう、「機械的金縛り状態」とも呼ぶべき事態にしばしば陥ってしまいます。
だからこそ著者がいうように、ときどき「小さな丸い時間機械を打ちこわし」てでも、すっかりお留守になっていたハートを働かせてあげなければなりません。
現実を咀嚼し、舌でそれを味わうということも、そのための道草のようなものなのかもしれません。せっかくの食時ですから、楽しんでいきましょう。
今週のキーワード
スローフード