さそり座
都会にいることと哲学すること
ただただ書いて、話せばいい
今週のさそり座は、「雪のごときものに埋もれて」いく光景のよう。あるいは、私の背後にある何ものかを考え、話し、表現していこうとするような星回り。
都会というのはひとつの巨大な欲望の集合体とも言えますが、哲学者の山内志朗は、『東京で溺れない哲学』というエッセイのなかで、都会というのは「一年中、吹雪が吹き荒れているようにしか感じられない」と表現しつつも、それは結果的には、哲学をするにはもってこいの環境だったのかも知れないと振り返っています。
山内はこう言います。「薄暗い、灰色の空から、雪が音もなく、静かに降り積もるとき、雪は降る。音もなく降る。上から下へと降る」。そうやって「降る雪が哲学していると感じることもあった」のだと。また、山内は大学を留年し、荒んだ生活をしていた自身の過去を「都会に溺れていた」と振り返り、「哲学とは何か。考えたことを書き、思ったことを話せばよい、そういう単純なことがあまり分かっていなかった」し、「表現とは知性の辛苦と喘ぎを通してのみ成立することだと思っていた」とも述べています。
都会で溺れないためには、泳ぎ方を覚えなければなりませんが、それは少なくとも山内にとっては、「雪のごときものに埋もれて」いる自分自身を見出し、その背後にある自然のはたらきをはるかな起源へと遡っていくことに他ならなかったのでしょう。
29日にさそり座から数えて「精神的活動」を意味する9番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が呑み込まれつつあるものを懸命に呑み込み返すべし。
風の聖霊のような働き
山内は自身の仕事の大半を占めてきた原稿書きについても、「背後にある何ものかが、私を駆り立てている限りで、書いている」とした上で、こうも述べています。
文章とは、水と空気と風と熱などのエレメントに発するものではないのか。海から上る水蒸気は、空に至り、雨滴になったり雪になったりする。それは、風が聖霊のような働きをして、天にあるものを遠くに運び、地上に届けるような様子と似ているような気もする。文章は天気と似ている。海から発して最後には海に帰っていく。
翻(ひるがえ)って、あなたは今どんな天気に見舞われ、何に埋もれているでしょうか?
それは、どこからやって来て、あなたをどんな風に苦しめているのでしょう?
そして、それはどこへ帰っていこうとしているのか?
今週のさそり座もまた、ひとつそんな意味での「哲学すること」を大切にしてみるといいでしょう。
さそり座の今週のキーワード
背後にある自然のはたらきをはるかな起源へと遡っていくこと