うお座
これまでにない世界が切り開かれるために
関係性のなかの「かけがえのなさ」
今週のうお座は、中原中也の『月夜の浜辺』のごとし。あるいは、表層的な価値判断を超えたところで、真にいきいきとさせてくれる関わりを結んでいこうとするような星回り。
中也が2歳の息子を失った後に書かれた、『月夜の浜辺』という詩があります。
月夜の晩に、ボタンが一つ/波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと/僕は思ったわけではないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず/僕はそれを、袂に入れた。
(…)
月夜の晩に、拾ったボタンは/指先に沁み、心に沁みた。
月夜の晩に、拾ったボタンは/どうしてそれが。捨てられようか?
ボタンそれ自体に何か価値があるわけではない。思い出の品であるとか、何か霊妙さを感じたとか、何かに役立つのではないかと思ったわけではない。だけど、なんか捨てられなかった。出会ってしまったボタンだから、というのです。
自分とボタンとの縁は、純粋な偶然から始まった関係だけれど、だからこそ、そのボタンはとりかえのきかない尊いものであり、かけがえのないものになっていたのでしょう。あるいは、もしこのボタンを捨ててしまえば、自分の中のあたたかな生のエネルギーの流れが消えてしまうと、そう感じたのかも知れません。
同様に、11月8日にうお座から数えて「生きた交流」を意味する3番目のおうし座で皆既月食を迎えていく今週のあなたもまた、関係性における尊いもの、かけがえのないものをきちんと見定めていくことがテーマとなっていきそうです。
「展かれる場所」になる
日本では近代から現代に時代が進むにしたがって、「作家」という言い方で小説偏重の傾向が強まり、それに反比例するかのように詩人をそれっぽい美辞麗句を重ねるだけの「ポエマー」へと貶めていくようになりました。
しかし例えば哲学者の池田晶子などは、詩人とは「ことばと宇宙とが直結していることを本能的に察知している者を言う」と書き、さらに次のように続けてみせました。
(詩人の)感受性は宇宙大に膨張し、そしてそこに在るもろもろのものへと拡散し、それらを抱えて再びことばへと凝縮して来る。彼は、ことばと宇宙とが、そこで閃き、交換する場所なのだ。(『事象そのものへ!』)
奇妙に聞こえるかも知れませんが、彼女にとって「詩人」とは、変わった属性の人間というよりも、何ものかが生起してくるひとつの「場所」なのです。しかも詩を編むとは、そうして生まれてきた言葉をただ既存の世界へと定着させていくことを指す訳ではありません。
あることばがそこに孕む気配、またあることばが既に帯びた色調、それらをかけ合わせ混合し、無限のヴァリエーション、未だ「ない」宇宙が、そこに展かれる場所なのだ。
すなわち、詩作やその朗読とは、新たな宇宙をそこから展開していくことであり、そういう「場所」になりきってこそ、詩人と呼ばれるにふさわしいと考えていたのです。その意味で、今週のうお座もまた、どんな宇宙を切り開いていけるか、またどれだけ「場所」になりきれるかが問われていくことになるでしょう。
うお座の今週のキーワード
ことばと宇宙とが、そこで閃き、交換する場所