うお座
秋と書いて“飽き”と読む
よっぽど「月」らしい
今週のうお座は、『月に飽く夜道を寒き欠びかな』(佐久間法師)という句のごとし。あるいは、ひょいと漏れ出ちゃったものは仕方ないよねって感じの星回り。
秋の夜空に煌々と映える月と言えば、たとえ気分が乗らなくても、体調が悪かろうとも、どうも否が応でもテンションを上げたり、風流がらねばならないといった向きが伝統的にある訳ですが(占星術でも月をめぐる議論は盛り上がりがちだ)。
掲句は「(そういう)月に飽きてきた」と言い放ち、素っ気なく「欠(あく)び」をして、ドロンを決め込もうとしているという意味で、斜に構えている、異端だなどと言う人もいるかも知れません。
しかし、「飽きる」とか「眠い」というのも自然な本性の現われであって、むしろ決まり切った応酬や退屈なやり取りに無理に付き合おうとするよりも、なまなましく生命としての自然体に即した行動であるという意味で、よっぽど「月」らしいのではないでしょうか。
マウントしたり、相手をコントロールしようとしてそうするのではなく、あくまで自然な反応に基づくものであるならば、私たちはもっと色んな「不自然さ」や「自己の抑圧」に飽き飽きしていいはず。
18日にうお座から数えて「自然な発露」を意味する5番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、肩ひじ張らずに飄々と過ごしてみるくらいでちょうどいいでしょう。
すべては真剣であり、ばかばかしくもある
19世紀末フランスで活躍し、2度のタヒチ滞在を通じてプリミティヴィズムに強く影響を受けたポスト印象派の画家ゴーギャンは、最晩年に或るエッセイ集を遺しています。
その中に「人生とは」という少々野暮ったい表題のエッセイがあり、冒頭で「人生とは、人がそれを意志的に実践するのでなければ、少なくともその人の意志の程度にしか、意味を持たないものだ、と私は考えている。美徳、善・悪などはことばである。もし人々が、それをひき砕いて建物を建てるのでなければ、(中略)意味を持たない」と述べています。
ずいぶん率直に物申す人だなと思っていると、唐突に「私は、愛したいと思いながら、それができない。私は愛すまいと思いながら、それができない」と告白するのです。
彼はけっして愚かではなかったものの、だからといって生き方がうまい訳でもなかったのでしょう。彼の文章はそんな特質を反映するように、まどろっこしく、不安定なのですが、それも「すべては真剣であり、ばかばかしくもある」といった少しの本音を隠すためのカモフラージュのように思えてきます。
今週のうお座もまた、そんな晩年のゴーギャンように、ただ純粋に自分自身のために何かを表現していくことがテーマとなっていくでしょう。
うお座の今週のキーワード
飽き飽きて覚めても我をりて秋