てんびん座
わんわんお
現代人が忘れつつあるもの
今週のてんびん座は、はらわたからの震えのごとし。あるいは、「こころ」で感じるとはどこでどのように感じることなのか、確かめていくような星回り。
それは、現代人が「こころ」感じられなくなってきたものが、ますます周りから減りつつある自然に他ならないということにヒントがあるように思います。
自然との関わりは、大抵の場合まず目から入ってくる視覚的情報から始まります。すると、眼筋をはじめとするもろもろの筋運動がそれに連動する訳ですが、解剖学者の三木成夫の言い方を借りれば、これは外皮上の感覚や神経伝達、筋肉の運動などの「体壁系」の出来事なのだそう。
ただ、自然と関わるとき、人間にはそうした「体壁系」とは別に、「肉体の奥深くから、心の声が起こる」ような仕方で「内臓系」からの反応も起こるのだとして、三木は次のように述べています。
赤トンボが飛んでいるから秋。サクラの花が咲いているから春。これは、あくまでも“あたま”で考えること。ほんとうの実感は“はらわた”です。文字通り、肚の底からしみじみと感じることです。たとえば、秋の情感を表わす「さわやか」という言葉は、胸から腹にかけて、なにかスーッとする内臓感覚が中心になっている。「秋はただ悲しみをそふるはらわたをつかむばかり……」元禄の俳人宝井其角の俳文の一節です。それから、“断腸の思い”というのもありますね。「さわやか」といいこの「断腸」といい、秋の情感をリアルに表現しようと思うと、もう内臓感覚の言葉に頼る以外にない。これは、大切なことだと思います。
つまり三木の言葉を借りれば、「こころ」で感じるとは、はらわたを伝わってくる内臓波動と共鳴するということであり、15日にてんびん座から数えて「忘れ去られたもの」を意味する12番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、あたまで考えたことよりも、そうして内なる小宇宙の波にこそしたがってみるといいでしょう。
街をうろつく野犬にならう
ペットを連れて道を歩くことはありふれた日常の光景ですが、野犬が街をうろつけば途端にそれはパニックの元凶となります。飼い慣らされ、躾けられ、すっかり人間の秩序に組み込まれてしまったペットとは異なり、不意に街に現れた野犬は異物どころか、秩序そのものを脅かす「獣」となるから。
これは例えば、本能に深く根差した「食欲」を見ても、文明社会には必ず食事の行儀作法というものがあり、みずからの獣性を上手に隠蔽できない者には「醜」の烙印が押され、社会からつまはじきにされますし、こうした排除の原理は「性欲」においてより強固に発揮されていきます。
しかし、秩序を乱すものたちへ向けられる監視の目にも、必ず死角が存在するもの。人間の獣性というものもまた、そうした秩序を逸脱したところにわだかまる闇の領域に生息する、一種のクリーチャーであり、いつの時代も彼らが完全に息絶えることはあり得ないのです。
酩酊、乱舞、暴力、戦慄、幻覚、狂気――。今週のてんびん座もまた、ごとし。日ごろは隠蔽(カモフラージュ)されている自身の獣性に改めて親しみ、育んでいくことになるはず。
てんびん座の今週のキーワード
強力なパワーの源としての獣性