てんびん座
接続の塩梅
白か黒かを超えて
今週のてんびん座は、恋愛と友情のあいだの中間領域に立つよう。あるいは、権力支配から自由な在りようを紡ぎ出そうと、自分なりに試行錯誤していこうとするような星回り。
ニュースで芸能人の不倫が取り沙汰される度に、みるみるうちにタイムラインがその話題で埋めつくされて他の問題がどこかへ追いやられてしまう世界線に生きている私たちは、性的関係ないし恋愛を(例えば友情などの他の人間関係と比べ)明らかに特別視しているように思います。
そして、そうした話題を扱う際に必ずガイドラインとなるのは、生殖を中心とした異性愛こそが正常であり、それ以外の性愛は倒錯的で異常である、といった規範意識であり、これは、いわゆるリベラルとは程遠いタイプの人間が「片親だと子どもが心配」などと悪気なくつぶやく際にも垣間見られるものなのではないでしょうか。
しかし問題なのは、そうした規範意識がごく自然に生じてきたものなどでは決してなく、権力によって刷り込まれたものであるということ。資本主義社会に生きている私たちは、無意識のうちに資本の蓄積と生産性の増大に寄与することこそが正しいことであり、経済成長に必要不可欠な人口増加を不安定にするような性愛のあり方をおかしいと思い込むことによって、資本と結びついた権力の支配に組み込まれていっているのだと言えます。
その点で、友情は資本主義の発展と必ずしも結びつかず、そうした「権力にのっとられない」性質をもつがゆえに、私たちは友情をとおして権力の支配から免れているのだとも考えれられます。
7月18日にてんびん座から数えて「社会との接続」を意味する10番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした規範意識にムキになって抗うのでも、当然のように呑み込まれるのでもない、ちょうどいい塩梅での立ち方を改めて模索していきたいところです。
「ディアスポラ」的屈折
もともとこの言葉は「離散」ないし「離散地」を意味するギリシア語で、2世紀のエルサレム陥落以降、世界の様々な地域に離散して暮らさざるを得なくなったユダヤ人の在り方を指すようになりました。
そして彼らディアスポラの暮らしにおいて異文化との融合、あるいは異文化への同化が、意識的・無意識的にたえず進行していった訳ですが、近現代の植民地支配を典型とする文化的な支配・被支配の関係は、多くの人々に言語の習得の過程で社会的かつ暴力的な他者性を刻印し、そこでは言語による自己表現において恐ろしい屈折をはらんできました。
例えば、近代以降の日本でも英語教育が当たり前になされてきましたが、英文は読めても自国の数百年前の文献は読めないという日本人はとても多いでしょう。そういう意味では、日本人もまた知らず知らずのうちにディアスポラ的な屈折を抱え込んでしまっていて、そうした屈折を深く抱えている人ほど、無理のある仕方で“正常”で“多数派”な自分であろうとしていくものなのかも知れません。
今週のてんびん座もまた、自分が無意識のうちに慣れきってしまった断絶や受け入れてしまっている被支配的な構造について、改めて見直していくところから試行錯誤していくといいでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
自身を引き裂かれつつあるひとつの境界(ボーダー)そのものと感じていくこと