
てんびん座
浮かぶ瀬もあれ

矛盾の昇華
今週のてんびん座は、『蟻の道雲の峰よりつづきけん』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、自身がこの先の人生を生きていく原動力が浮き彫りになっていくような星回り。
文政1年(1819)、作者57歳の頃に綴られた『おらが春』に収録されたもの。掲句はおそらく、自身がかつて俳句行脚をしていた頃に詠んだものを、この時期に改めて取り上げたのでしょう。この「蟻の道」とはすなわち、作者自身の旅路であり、これまで歩んできた人生の道程でもあったはず。
それはそれはちっぽけで、横から風が吹けば飛ばされてしまうような頼りない足取りではあるけれど、それは同時に、はるか天高くにそびえる「雲の峰」にも繋がっている道でもあるのだ、と。この天と地とを瞬時に結びつけてみせた大胆な詠みぶりの原動力になっていたのは、おそらく同じ年に起きた長女さとの死でしょう。
人生の根本に触れるような大事に遭遇した時というのは、俳人にとってしばしば自身の境地をより一層深めるべく、詩的な真実を鋭く追求していくタイミングとなっていくもの。
その意味で、地を這う生きものとしての「蟻」の小ささと山の峰のようにそびえ立つ夏の雲の大きさの対比、そして道ゆきの中でのつながりという一見矛盾するような内容を、こうしてあえて一つの句に落としこんでみせたところに、やはり作者晩年の句境が象徴的に現れていたのではないでしょうか。
6月26日に自分自身の星座であるてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の歩みはどこへと繋がっていくものなのか、改めてその信念を胸に手を当て問いただしてみるといいでしょう。
無頼漢たるべし
俳人の森澄雄が、以前どこかで「俳人というのはどこかで破落戸(ならずもの)でなきゃ出来ない」ということを言っていたのを読んだことがあります。これはゴロツキとかヤクザとか言うのではなくて、「無頼漢」ということでしょう。
つまり、文字通り「頼りない人間」という意味です。逆に「頼りある人間」とはどういう人のことかと言えば、それは何の抵抗もなく社会の中で生きていけるということ。うまく周囲に溶け込んで、世間の価値観にも調和して、それで多少の不満はあっても、まるでやっていけないということはなく、人並みにしあわせになっていけるだろうという感じがする。そういう人は俳人やアーティストになどなる必要がない。
五七五のきわめて短い歌にみずからの生涯を託すなどということは、自由に想像の世界に遊ぼうとすることに他ならないのだから、いつでも自分というものを投げ出せるような、エイヤと放ったところで自分がどこかに浮かんで句ができるようなところがなくてはならないと言っているんです。
その意味で今週のてんびん座もまた、立っているのもやっとな、おぼつかない闇の中に足をつっこんでやっと生きているという「無頼の感覚」に、どこかで通じていくようなところがありそうです。
てんびん座の今週のキーワード
身を捨ててこそ





