てんびん座
ごくささやかな儀式の実践
占いとは過去と未来の「待ち合わせ」である
今週のてんびん座は、『十二月の運を立ち読む待ち合はせ』(西山ゆりこ)という句のごとし。あるいは、秘めた思いがスーッと増幅されていくような星回り。
「十二月の」という上五がそのまま「運」にかかるだけなら、単なる状況説明文に過ぎないでしょう。しかし、これが結びの「待ち合はせ」にかかった瞬間、そこには読む人に応じて異なる、どこか浮き足立った幾つものストーリーが浮かび上がってくるはず。
例年バタバタしてる間に気付けば終わっている感のある「十二月」ですが、約束までの待ち時間や移動中にそっと来年の占いに目を通しては、この先の展開に思いを馳せる。
それがキラキラした街でのデートの待ち合わせであれ、気の置けない相手との馴染みの店での待ち合わせであれ、占いを読んでいるその瞬間はみなどこか遠い目の表情になっているのではないでしょうか。
その胸の内にあるのは、膨らむ期待か、苦い記憶か、それとも鋭い決意か。いずれにせよ、ここでは「待ち合わせ」という行為が単に物理的な意味を越えて、過去と未来とを交錯させるある種の宗教儀礼にまで高められているように思います。
23日にてんびん座から数えて「共鳴版」を意味する4番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな特別な待ち合わせにみずから臨んでみるといいでしょう。
占い師の立場に立ってみる
占いを書くときというのは、いきなり書き出す訳ではなく、不在の読者を前にして語る人である前に聴く人でなければなりません。そのあたりの勘所について、例えばリルケの『ドゥイノ悲歌』では、次のように詠われます。
声がする、声が。聴け、わが心よ、かつてただ聖者たちだけが
聴いたような聴き方で。巨大な呼び声が聖者らを地からもたげた。
……おまえも神の召す声に
堪えられようというのではない、いやけっして。しかし、風に似て吹きわたりくる声を聴け、静寂からつくられる絶ゆることないあの音信(おとずれ)を。
……あれこそあの若い死者たちから来るおまえへの呼びかけだ。
静寂のうちに生み出される「音信」は死者の声に他ならず、神の言葉を聴く聖人になどなれない私たちは、せめて死者の声を聴こうと言うのです。ただ、ここで言う「死者」とは、単にかつて死んだ人というより、沈黙の世界のガイドであり、ささやかなもの、小さきもの、見向きもされなくなったものに宿る霊なのだと言ってもいいかも知れません。
今週のてんびん座もまた、時にはただ何も考えずに素朴に手を合わせ、死者を「音信」を受け止めていくような一見何でもないような時間をこそ大切にしていきたいところです。
てんびん座の今週のキーワード
語る人である前に聴く人であろうとしていくこと