てんびん座
生きざまの賦活
死にざまの臨場感
今週のてんびん座は、『死火山の膚つめたくて草いちご』(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、生命体としての生々しさを取り戻していこうとするような星回り。
「死火山」という言葉は学術的には既に使われなくなったそうですが、そうであればこそ余計にこうした句の中で生命力を帯びてくるように感じます。
さらに畳みかけるように連続する「膚(はだ)つめたくて」という表現も、「山肌」という言葉以上に目の前の山そのものを単なる「景観」の一部としてではなく、生々しくそこにあるひとつの生命体としての存在感を際立たせていく訳ですが、何と言ってもこの句の山をただの山ではなくしているのが、「草いちご」という結びの一言でしょう。
その可憐で鮮やかな紅一点が目に飛び込んできたことで、死体としての山の冷たさや暗さが引き立てられつつも、それがただのかつて活動していたもののなれの果てなどではなく、今にも息を吹き返しそうなほどの臨場感のある“死にざま”を想起させるのです。
そしてそれは、事態が“生きざま”であっても同じことが言えるはず。みずからの日常に差し込む影や暗さや冷たさを排除する代わりに、いかにより効果的に配置していけるかということこそが生の実感の核心なのではないでしょうか。
その意味で、7月20日にてんびん座から数えて「対極性」を意味する7番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そうした配置の妙ということを探ってみるべし。
たまには風邪をひこう
風邪をひくと頭はボーっとして、活動の生産性も落ち、なんだか世間からひとり取り残された気分になるものですが、ある意味で今週のてんびん座はそうした風邪っぴきの状態に近づこうとしているのかも知れません。
風邪をひいた人間を見て、医者は発熱は体に入ったウイルスを免疫が撃退している証拠なのだと言いますが、これは一体どういうことなのでしょうか?
しかし、ここではっきりしたことは、個体の行動様式、いわば精神的「自己」を支配している脳が、もうひとつの「自己」を規定する免疫系によって、いともやすやすと「非自己」として排除されてしまうことである。つまり、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。(多田富雄、『免疫の意味論』)
つまり、自分ではないものを通して、たえず新しい自分を創り続けているのが免疫であり、風邪をひいている時というのは、脳の自己定義を放棄して、「自己」の輪郭を描き直しているのだということ。
今週のてんびん座もまた、つい合理的推論にハマり込んでいきがちな脳みそではなく免疫を、知性の代わりに第六感を働かせていくことで、自分という存在をより大きく、より多様に再定義していくことがテーマとなっていきそうです。
てんびん座の今週のキーワード
異物を通して自己は書き換わり続ける