てんびん座
「得る私」から「消え去る私」へ
より妖しい方へ
今週のてんびん座は、“神秘的合一”をあらわす最も古いシンボルの一つとしての「蛾」のごとし。あるいは、隠避な暗闇にどうしようもなく惹きつけられていくような星回り。
蛾は焔に惹きつけられて身を焦がしてしまうにも関わらず、頑迷にもそのことに最後まで気が付かないまま、焔に最接近してしまう訳ですが、これは物事の本質ないし神を人はけっして知り得ず、認識することが不可能であるという不可知論のパラドックスを想起させるところがあるように思います。
脱宗教の時代である現代において、いやそういう時代だからこそ、ある種の神秘体験は私たちにとって今もなお妖しくも惹きつけられる事象であり続けているのであり、それは理性の光によってヴェールを剥ぎ取られたものとして真理とは別の意味での“開かれ”、すなわち、途方もない解放感の契機として模索され続けているのではないでしょうか。
そして、それは客観的で誰にとっても明確な“エビデンス”によって示されるものではないからこそ、他ならぬ「私が直接目にした証拠」として、探求者たちによって強調されるのかも知れません。
その意味で、30日にてんびん座から数えて「探求」を意味する9番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、合理的な認識の光輝と対立しつつも密かな共犯関係を結んでいる神秘の方へとみずから近寄っていくことになるでしょう。
得夫と空介
旧約聖書に描かれた人類最初の殺人の主人公として有名なカインとアベルの兄弟ですが、実際の『創世記』の記述はきわめて簡素であり、特に弟のアベルについては、「アベルは羊を飼う者となり…羊の群れの中から(神への捧げ物として)肥えた初子を持ってきた」「カインがアベルに言葉をかけ、2人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した」と数行あるばかりです。
文明の基盤である農業にいそしんだ兄カインは、創意工夫にみち、また協力しあうことの大切さと、豊かさの価値を知る「大地を耕す者」でしたが、一方のアベルは大地に囚われることなく、気ままに移動していく自由で孤独な遊牧民であり、そうした生き様はかれらの名前にも象徴的に表わされていました。
ヘブライ語でカインとは「得る」の意であり、アベルは「口からもれるはかない息」、そして「空(くう)」を表したのです。もし日本風にするならば、得夫と空介といったところでしょうか。
神は弟アベルをひいきし、それがアベルが殺人を犯した引き金となったとされていますが、率直に思ったことを書き記すなら、神はただ文字通り「真空」を象徴するアベルに引き寄せられ、一体化して、みずから殺されることで豊穣をもたらした、ということだって十分ありえるように思います。
同様に、今週のてんびん座もまた、人生のどこかに存在する“真空”へと少なからず引き寄せられていくはずです。
てんびん座の今週のキーワード
真理とは別の意味での“開かれ”