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てんびん座
孤独者の散歩日和
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片隅を見つける
今週のてんびん座は、大きなものであれ小さなものであれ、この世界の「片隅」を見つけていくような星回り。あるいは、誰にも邪魔されずに自分自身を静かに引き戻していくことのできる場所を見つけていくこと。
『おくのほそ道』には、大きな栗の木の下で庵をむすび、俗世間を避けるように暮らしている僧・可伸(かしん)という人物のことを思って芭蕉が詠んだ「世の人の見付けぬ花や軒の栗」という句が出てきます。
栗の花というのは、桜のように多くの人々に愛でられることもなく、また独特な匂いからむしろ人々から避けられている。けれど見方を変えれば、そうすることで人々から距離をとって、静かに生きているのだとも言えます。
私たちの中には、どうしても人に自分を認めてもらいたいという欲望が渦巻いており、それに自分がとらわれてしまうところがあります。けれど、栗の木はそれに無関心で、のびのびと自分の花を咲かせている。
今週は、そんな風にして自分を欲望の渦から引き離していくことがテーマとなってくるでしょう。
ルソーの散歩
18世紀にルソーが「自然に帰れ」という合言葉を流行らせて以降、自然保護ということを強調する文化の下地がヨーロッパを中心につくられていったようになりました。
一方で面白いのは、ルソーによる「自然の発見」以前には、山や森などの自然はけっして気軽に親しんだり、ましてやレジャーやスポーツのフィールドとして見なされるような対象ではなかったという点です。
つまり、彼こそは世界に片隅を発見していく者の偉大なる先達のひとりな訳ですが、その様子がよく分かる一例を、彼の晩年の著作である『孤独な散歩者の夢想』から引用してみましょう。
「たそがれが近づくと、島の峰をくだって、湖水のほとりに行き、砂浜の人目につかない場所に坐る。そこにそうしていると、波の音と、水の激動が、僕の感覚を定着させ、僕の魂から他の一切の激動を駆逐して、魂をあるこころよい夢想の中にひたしてしまう。そして、そのまま、夜の来たのも知らずにいることがよくある。この水の満干、水の持続した、だが間をおいて膨張する音が、僕の目と耳をたゆまず打っては、僕のうちにあって、夢想が消してゆく内的活動の埋め合わせをしてくれる。そして、僕が存在していることを、心地よく感じさせてくれるので、わざわざ考えなくてもいい。」
こういう文章を読んでいると、散歩というものも、気分転換以上の意味を帯びてくるような気がしてくる。
今週のキーワード
自然の再発見
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