てんびん座
創造的に喧嘩を売る
ミヤコ・ホテル論争
今週のてんびん座は、「をみなとはかゝるものかも春の闇」(日野草城)という句のごとし。あるいは、産みの苦しみに直面していくような星回り。
女とはこういうものだったのかと、初めて女を抱いた男の心情吐露の句。うすらぼんやりした「春の闇」の中に、呆然とした男の顔だけが浮かび上がってくる様はどこか滑稽でさえある。
これは愛妻との京都への新婚旅行を詠った連作「ミヤコ・ホテル」の中の一句であり、色々つっこみどころはあるものの、大事なことは次の二点。作者は実際には新婚旅行になど行ってなかったこと、そして実際に起きたのはこの連作によって彼が所属していた結社「ホトトギス」を破門になるという大事件だったということ。
つまり、それまで一句一作品と捉えられていた俳句を、何句かの連作で作品と見なせないものかという実験的試みをせんがために、彼はわざわざフィクションをこしらえ、それに対し当時の俳壇のボスから「けしからん!」と大目玉を喰らって処分されてしまった訳だ。
とはいえ、そうした除名騒動も含めて、この句への賛否両論は俳句史に「ミヤコ・ホテル論争」として残る一大論争を巻き起こすほどの大きな注目を集めることには成功したことになる。
普通の感覚からすればなんとも身を切った試みであり、きっと当時でさえ「そこまでする必要ある?」と呆れられたに違いないが、現在から振り返れば男が滑稽に見えるほどの率直な詠嘆を1930年代の旧態依然とした社会において作品化したことの意義と価値はやはり瞠目に値する。
3月22日に試練と課題の星である土星が、てんびん座から数えて「創造的投機」を意味する5番目のみずがめ座に入っていくあなたもまた、ある種命がけの遊びや喧嘩を通して、自分自身の新たな一面に気付いていくことになるかもしれない。
割りきったらそこでおしまい
自然に存在するものを人間が誠実に表現しようとすると、そこには必ず過剰なまでの余剰部分が出てくる。例えば、「まるい」ということを表すためには、円周率の小数点以下に永遠に割り切れないまま数を羅列させ続けねばならない(有理数ではなく無理数になる)。
それは自己中心的で破壊的な、無明の中に閉じていこうとする力への洗練された抵抗であり、そうした抵抗によってなんとか確保された余剰部分こそが再びまた、新たな形で「自然」を規定していく訳だ。逆に、もし円周率を“3”にしてしまったら、世界はその美しさを半減させ、人々の想像力は急速に退化するに違いない。
自分をまだまだ予測不可能で、創造の過程にあるものにしたいなら、円周率が割り切れない数字を打ち続けるように、過剰なまでに余剰部分を作り込むこと。今週何か伝えることがあるとするなら、最後はその一点に尽きるだろう。
今週のキーワード
創造性とは意味不明性