やぎ座
異な風が吹いていく
動かない案山子の背中
今週のやぎ座は、『秋かぜのうごかして行(ゆく)案山子(かがし)かな』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、漂泊への思いをつのらせていくような星回り。
前書きに「雲裡房、つくしへ旅だつとて我に同行をすすめけるに、えゆかざりければ」とあります。雲裡房(うんりぼう)という友人が、筑紫へ旅にゆくので、自分も行かないかと誘われたんだけれど、その時は作者は事情があって行かなかった。
その雲裡房が、翌年の春に病死するんです。それで夏がすぎ、また秋がめぐってきて、その時のことを思い出している。まるで案山子を秋風が動かしたように、旅の誘いは自分の心をちょっと動かしたんだけれど、と。ただ「あーぁ、行きたいな」というその時の心の動き自体はやっぱり生き残っていて、ここでまた秋風のようにそれが吹き荒れ、自分の身を「ずずずっ」と大地から引っこ抜こうとしている訳です。
昔の旅というのは基本は歩きで長期間にわたりますから、肉体への負担が大きいですし、行った先で何が起こるかも分からない。したがって、九州行脚への誘いはすでに京都に居を構えていた作者にとってはまさにリスクしかない無茶ぶりだった訳ですが、のちに妻子をもうけてもなお、作者の漂泊への思いは抑えがたいものだったのでしょう。したがって、掲句はある種の予感のあらわれだったのだとも言えます。
15日にやぎ座から数えて「どこか遠く」を意味する9番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の定住ぶりをカッコにいれて、旅の道連れを探してみるべし。
風の音としてのビートニク
かつて松岡正剛はアレン・ギンズバーグの『吠える(Howl)』という詩について、「ぼくが好きな詩とはいえないが」と前置きしつつ、次のように評していました。
それは幻覚っぽくて前兆めいていて、ジャジーであって露悪的であり、反ヘブライ的なのに瞑想的で、夜の機械のようでも朝のインディアンのようでもあるような、もっと言うなら、花崗岩のペニスをもった怪物が敵陣突破をはかって精神の戦場に立ち向かったばかりのような、つまりはビートニクな言葉の吐露だった。
おそらく、松岡にとってギンズバーグの詩は、蕪村にとっての遠い異国の知への旅の誘いに近いものだったのではないでしょうか。実際のギンズバーグの詩の<第二部・呪詛>の箇所をほんの一部引用してみます。
モレク!孤独!汚穢!醜悪!(柴田元幸訳)
モレクは、古代の中東で崇拝された魔王の名で、人身供犠が行われたことで知られています。もちろん、ユダヤ人にとっては避けるべき異教の神です。
モレク!モレク!モレクの悪夢!愛なき者モレク!精神のモレク!人を重く裁く者モレク!(同上)
今週のやぎ座もまた、どこか遠くからの音に気を取られている人特有の、何とも言えない呆けた顔をのぞかせるような瞬間がきっと出てくるはず。
やぎ座の今週のキーワード
「あーぁ、行きたいな」