やぎ座
虚飾を廃する
雑なごちゃまぜ状態から脱する
今週のやぎ座は、「かたつぶり角ふりわけよ須磨明石」(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、幻想ではなく真実を見つめていこうとするような星回り。
須磨と明石といえば「すぐ隣り」という位置関係を表すための一種の符牒(暗号)であり、掲句で芭蕉は、「カタツムリよい、おまえの二本の角の先の目玉で、そんな二つの景を同時に眺めてごらんよ」と語りかけているわけです。
また「すぐ隣り」は空間だけでなく、時間にも適用できます。今日と昨日、今年と去年、今と昔、現在と過去。あるいは、今日と明日、今年と来年、今と先、現在と未来。人のこころはいつだって、過去か未来へふわふわと漂っていて、めったに「今ここ」だけに集中することはありませんし、言い方を変えれば「今ここ」と過去や未来をしっかりと区別できている人はほとんどいないのだということになります。
須磨と明石は確かに近い。だからついごっちゃにしてしまいがちだけれど、本当は「近くて遠い」のであり、決定的に異なっていることをみな忘れてしまっているのだと言えます。
5月11日に「自分自身」の星座であるやぎ座で土星の逆行(常識の反転)が起きていく今週のあなたにおいても、なんとなく同一視してしまいがちな自分と自分以外のもの、いま目の前にある現実とそれ以外の区別をしかとつけていくことがテーマとなっていくでしょう。
理想も投影も斬って捨てていくこと
禅語録の『無関門』には「仏に会うては仏を殺せ、鬼に会うては鬼を殺せ、親に会うては親を殺せ」という激烈な言葉が書かれてあって、信長も一休もこの言葉を好んでいたと言います。確かにそう言われてみれば、やっていることの次元や領域はまったく異なる二人ですが、どこか共通したものがあるようにも思えてきます。
最近だとスティーブ・ジョブスが深く帰依していたことでも注目された禅宗ですが、禅を実践するということは、端的に言えば「”イデア”を殺す」ということです。イデアとは、現象を超えて真に実在していると考えられる理念そのものであり、また「あるべき理想」の状態と言えます。
禅では、本当に語るべきことを語る際、必ず否定する形でもって言い表わされます。これは例えば自分がどうあるべきかを考えたり語ったりするときにも、そこで自然と浮かんできてしまう親だとか仏だとかロールモデルだとかの”イデア”を正面切って殺すだけのパワーを発揮していくのでなければ、本当の意味で考えたり語ったりすることはできない、ということなんです。
今週のやぎ座もまた、それくらいの厳しさで物事や自分自身を見つめていくくらいでちょうどいいでしょう。
今週のキーワード
やり直し、仕切り直し