かに座
身に迫るものを受け止めていくために
濃度の異なる闇の層
今週のかに座は、『足もとはもうまつくらや秋の暮』(草間時彦)という句のごとし。あるいは、身に迫りつつある“暗い影”をしかと見定めていこうとするような星回り。
日暮れがますます早く感じられるようになってきた晩秋のある日。ふと、足もとを見遣ると、いつの間にか真っ暗になっていた――。ここでは、すでにあたりに薄闇が満ちつつあったのですが、まず「足もと」だけに濃度の高い「真っ暗闇」が凝縮しているさまが描かれている訳です。作者はそこで、思わずハッとしたのでしょう。
この「真っ暗闇」は他に目を移したのち、ふたたび目を戻したときには、もはや眼前に迫るくらいに満ちているかもしれない。そう感じさせるほど、時間の流れの早さが目に見えるかたちで示されている。さながら潮が満ちていく際の海のように。そしておそらく、想像を超えた速さで広がる「真っ暗闇」とは、実景であると同時に、みずからの身に迫る死の隠喩でもあるはず。
端正に整えられた漢字(足、秋)のはざまで、もつれ、次第に形をうしなって、無に帰していくようなひらがなの羅列を見ていると、何気なく過ごしている日常のはざまにも無や死がまじかに潜んでいるのだと改めて感じられてきます。
10月29日にかに座から数えて「中長期的なビジョン」を意味する11番目のおうし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分の身に残された時間の有限性について、改めて指折り数えてみるべし。
「足摺り」という所作
古典的な能や現代の暗黒舞踏では、跳ぶことが禁じられ、その代わりに地に括りつけられた者の所作としての「足摺り」に大きな意味が与えられています。
バレエやタップ・ダンスが、軽やかに人間的な湿り気や拘泥からみずからを遠ざけようとするのに対して、「足摺り」は土着的であり、低く重くみずからがその上に立つ大地へと下降し、そこに立て籠もっていくのです。
かといって、それは大地や床を卑しめたり、蔑んだり、憎悪したりするのではなく、リアリティの内奥へとおのれを浸透させ、そこで死の気配をわが身に擦り付け、これを外してしまえばおのれの立場そのものが虚偽になると思い詰め、受け入れざるを得ない事態のなかでただただみずからを苛んでいく。
それは自分がそもそも「腐植土(ラテン語のhumus、humanity=人間性の語源)」であることを思い出していくための技芸でもあり、死という絶対的宿命を前に私たちが抱く恐れや悔いといった情念もまた、そうしたところから噴き上がってくるのではないでしょうか。
同様に、今週のかに座もまた、浮こうとしても浮きえない自らの性(さが)を改めて自覚していくべし。
かに座の今週のキーワード
身の内の土着性を知ること