かに座
気持ちよくあり続けるために
掘り出し物としての鯨肉
今週のかに座は、『駅前の雑踏を抜け鯨食ふ』(相沢文子)という句のごとし。あるいは、ささやかな生きがいの実感をしみじみと深めていくような星回り。
「鯨」はつがいとなる冬季に活動が活発となり、そこで捕獲された鯨肉が市場に出回るため冬の季語。とはいえ、商業捕鯨の中止以降は、一般にはほとんど出回らなくなったため、実際に新鮮な鯨肉を食べる機会というのは普段めったに巡ってくるものではないでしょう。
鯨というのは回遊する鰹や鰯の大群を追っているため、昔から「一頭捕えれば七郷の賑わい」と言われていたように、鯨は伝統的に大漁のシンボルとして漁師にも喜ばれていたと言います。そういう歴史的な記憶も負いながら、さながら市場でたまたま掘り出し物でも見つけるような感覚で、ぼくらはときどき鯨肉にありつくことができる。
掲句でも、そろそろ年の瀬が押し迫ってきた人びとの慌ただしい空気感をかいくぐって、いそいそと鯨にありつきに行くその様子には、どこか世界の片隅にある宝ものでも見つけに行くかのような多幸感が漂っています。
翻って、モノが豊かになったはずの現代人の暮らしには、そうした実際にありつきたいと心から願うような縁起物や宝ものは果たして存在するでしょうか。
その意味で、16日にかに座から数えて「財宝」を意味する2番目のしし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、世界の片隅にある何か“いい感じ”のものを掘り起こすつもりで過ごしてみるといいかも知れません。
身体性と柔らかな倫理
今から20年以上前、村上春樹は自身の唯一のメンターでもあった河合隼雄との対談(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)の中で、西洋文化を積極的に取り入れようとしていた頃の昔の文士たちというのは、自分たちは精神の仕事をしているのだから、体なんか関係ないと無視したり雑に扱ったりする傾向があったけれど、今は時代が変わってきて、体をきちんと丁寧に扱って鍛えていくことで文体を練り上げ、物語を引き出していくという風に変わってきていると述べています。
例えば、「気持ちよくあり続ける」ということは案外むずかしくて、それなりの努力を払い、コツを見つけなければならない一方で、そこをドラッグとかさっさと恋人をつくるとか、手軽な方法で済ませてしまおうとすると、どうしても妄想や暴力性を孕まざるを得なくなってしまう。そこをどうするかという、柔らかな倫理のようなものが必要なのだと。
こうした指摘は社会がしなやかな想像力を失いつつある今、ますます切実さを伴って感じられるようになってきていますが、いわゆる既存の成功方程式だとか、つい最近まで通用していた「これが正解」みたいなものがまたたく間に通用しなくなってしまう現代社会において、「身体性の復活」とは即ち、そうした人としての「柔軟性」であったり、多様なエネルギーの生み出し方の引き出しだったりということと大きく関係してくるはず。
その意味で、今週のかに座もまた、身体性を無視するかたちで壁を乗り越えようとするのではなく、改めてどうしたら自分の生きている物語に「体を入れていけるか」ということに取り組んでみるといいでしょう。
かに座の今週のキーワード
体をきちんと丁寧に扱って鍛えていくこと