みずがめ座
“福がやってきそう”感
お多福よふたたび
今週のみずがめ座は、失われた評価基準としての「お多福」のごとし。あるいは、めでたい世界を日常につくりだすための呪いを発動させていくような星回り。
江戸時代の雅熙(まさひろ)という絵師の作品に、百人のお福さんの姿を描いた「百福図」という絵があります。お福さんというのは女性の道化のことで、絵の中でもある者は裸で俵をかつぎ、またある者は陽気に歌い踊っている。他にも、豆腐を焼いていたり、餅をついていたり、ドタバタ走ってたり、横になって本を読んだり、囲碁に興じていたりと、実にさまざまな表情と動作をもった女性らが一堂に会し、じつに豊かな輝きを放っている。
そこには近代以降には消えてしまった、裸体で笑いを起こしたアメノウズメ以来の女性に対する古代的な女性像が垣間見えます。すなわち、美人だからいいとか、実家が裕福で聡明だから、料理が上手だからという訳でもない、福をもたらしてくれるかどうかという価値基準がかつてはあったのです。
100人のお福さんは、具体的かつ明確な共通点こそないものの、みなそれぞれに躍動していて、どこかリズミックで、おめでたい。これは、笑いというものが固定して動かなくなった身体や場の空気、コミュニケーションなどに「動き」と「変化」がもたらされたときに初めて湧きおこってくるものであることと併せて考えると、そのありがたみもがよく分かるはず。
6月21日にみずがめ座から数えて「流儀/美学」を意味する6番目の星座で夏至(太陽かに座入り)を迎えていく今週のあなたもまた、まじめさや上品さや見た目のかわいらしさを超えた「福々しさ」をみずからに取り入れていきたいところです。
元気はつらつ!
一般的には『チャタレー夫人の恋人』の作者として知られるD・H・ロレンスは、最晩年に著した『黙示録論』において、近代人の精神的苦しみの原因は、自我や理性の次元にアイデンティティを見出そうとしている点にあるのだと喝破した上で、それに代わって「生きて肉体のうち」にあること、すなわち「生命力」に基づいたアイデンティティという考えを提出しました。
われわれは生きて肉体のうちにあり、いきいきした実体からなるコスモス(大宇宙)の一部であるという歓びに陶酔すべきではないか。眼が私のからだの一部であるように、私もまた太陽の一部なのである。(D・H・ロレンス『黙示録論』)
ロレンスが追求しようとしたのは、近代社会の狭くせせこましい道徳の中でがんじがらめになった生命力を、偽善の拘束から解き放つことでした。
そして今週のみずがめ座においても、「いかに生命力を偽善の拘束から解き放ちうるか?」というロレンス的テーマが何らかの形で問われていくことになるはず。
みずがめ座の今週のキーワード
福は笑いとともにやってくる