みずがめ座
無造作な星座
さりげない布置
今週のみずがめ座は、『ラヂオよく聞こえ北佐久秋の晴れ』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、自分が現在達しうる最高の境地を示していこうとするような星回り。
ラジオ、電波、空、受信した言葉、北佐久、秋晴れと、なんとなく無造作につぶやいた言葉の羅列がそのまま俳句となったような作。
あえてくどくどしく助詞や接続詞で文脈をガチガチに固定しなくても、人の心はほんの2、3個の単語を並べただけで、おのずから単語同士を関係づけて連想を促し、ありそうなストーリーを紡ぎ出すもの。
とはいえ、出鱈目でもいいのかと言えばそれも違う。最初の五音と中の七音は、ともに「ク」で韻をそろえることで、読者を気持ちよく連想へと導く工夫がなされていますし、最後の五音だけ異なる単語を混ぜずに「秋の晴れ」とすることで、連想をここで完結させずに想像力が働くだけの余地を読者のためにさりげなく残しています。
こういう難しい言葉を使わず、配置も何気ないものでありながら、そのじつ計算し尽くされた技巧が凝らしてあるような作品こそ、作者の得意とするところだったように思います。
その意味で、9月26日にみずがめ座から数えて「自身の哲学」を意味する9番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、この機会に普段何気なく施している自分なりの工夫やこれまでの経験に基づく気配りをリスト化したり、ひとつのモデルに落とし込んでみるなど、まとめていく時間を作ってみるといいかも知れません。
星座としての「公式」
詩人の岸田将幸は『孤絶-角』という詩の中で次のように書いています。
新たな数式を生まねばならない。きっとそれは次の人がぎりぎり踏み外すことのない足場になるはずだ。その数式は彼を沈黙させ、彼はしばらく別のところで生きて行かなければならなかったかもしれない。しかしだ、その別の場所を育んだのはある死者の息づかいの跡であったかもしれない。そうして彼はある死者の跡を引き受けつつ、また別の人を生かしめるために別の場所に立ったのかもしれない。
これは冒頭部の一節ですが、ここで言う「公式」とは、例えば私たち一人ひとりによって未知のストーリーが発見されていったそのプロセスであり、さながら星と星とを結んで作られた無数の星座のようなものと言えるかも知れません。
そしてそれらは、死者から生者へ、そしてまた次の生者へと、何十代何百代にもわたり、膨大な時間をかけて引き継がれていくものであり、そういうものを私たちは孤絶のなかでこそ受けとっていくことができるのではないでしょうか。
今週はみずがめ座もまた、自分なりの「公式」を生み出していくための足がかりを見つけていくつもりで日々を過ごしていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
死者の息づかいの痕跡