みずがめ座
可能性の家をたてる
現実と地続きのフィクションを
今週のみずがめ座は、公園のベンチでポスト労働世界を夢を見る労働者のごとし。あるいは、既存の労働倫理へのささやかな抵抗を試みていくような星回り。
この国はいつからか、ただでものを手に入れようとする人々に対する、サディスティックな仕打ちが常態化するようになってきたように思いますが、この状況下で改めてそうした仕打ちを正当化してくれる大義名分である「働かざる者食うべからず」といった絶対的なルールが立ち行かなくなって、色々な意味で行き詰まり状態に陥った人は少なくないのではないでしょうか。
こうした「社会で報酬を得るためには一定の苦痛や労働が要求され、それに耐え忍ばなければならない」といった“生産性”をめぐる思考は、資本主義と固く結びついた労働倫理であるがゆえに、行き過ぎた人間中心主義の是正が促されている現在のような社会状況では、真っ先にやり玉に挙げられなければならないものの1つといえます。
ニック・スルニチェクというカナダの哲学者は、アレックス・ウィリアムズと共に2015年に著した本の中で、「ここで抱くべき野望は、資本主義から未来を取り戻し、我々が欲する21世紀の世界を我々自身によって打ち立てることを目標にする、ということだ。自由を意味のある概念とするためにとりわけ重要なことは、時間と金銭が与えられねばならないということだ。左派の伝統的な要求である完全雇用は、それゆえ、完全失業の要求へと取って代わられねばならない」(『未来を発明する:ポスト資本主義と労働なき世界』)という趣旨のことを述べています。
ここで言う「完全失業」とは、テクノロジーによって代替不可能なもののみが労働の対象となり、苦痛で過酷な長時間労働というものがそもそも存在しない、食うために働く必要がない世界のことであり、ここでははそれが現実へと変容する可能性のある一種のフィクションとして構想されている訳です。
そして、8月4日に自分自身の星座であるみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした嘘と真実のはざまにあるようなフィクションをみずからの現実と地続きのものとして感じられているかどうかを、改めて問われていくことになるでしょう。
エミリー・ディキンスンの「可能性の家」
その際、周囲や社会の期待に応えるためにする演技よりも、自分の本当の気持ちに正直でいられる場所を選ぶこと。例えば、生前はほとんど誰にも知られず、死後になって初めて詩人として栄誉を受けたエミリー・ディキンスンは、それを自分の部屋を持つこと、そしてそこで詩を書くことを通じて行っていきました。
彼女の生涯の内でも最も多作の歳に書かれた詩を、1つ引用してみましょう。
「可能性の家に暮らしています
散文よりも、すてきな家です
窓が多く/入口も魅力よ
各部屋は 杉の木立
人目は避けられるし
朽ちない天井は/天空の丸屋根
訪れるのは このうえなく美しきものたち
そして 仕事は――小さい腕を
精いっぱい伸ばして
摘み集めていくの 楽園を」
(内藤里永子訳)
詩は、彼女にとって「散文よりもすてきな家」であり大きな可能性を秘めたものである一方で、新しい可能性への挑戦の場でもありました。今週のあなたもまた、まずは人目につかないところで、ささやかでありつつも偉大な挑戦を思いきり試みていきたいところです。
今週のキーワード
薄明の窓辺に置かれた言葉