おとめ座
心して前進せよ
弱さに秘められた力
おとめ座から数えて「欠乏と共有」を意味する8番目のおひつじ座に「勢いと拡張」の木星がめぐってきた2022年下半期は、おとめ座にとって「新たな生を招き入れていく」時期なのだと言えます。
人は天災や病気など、自分ではどうしようもない不幸、普通ならありえないだろう出来事に直面したとき、改めてみずからが危うい一回性の均衡の中で途方もない偶然に左右される存在であるという感覚を思い出します。
そして、そうした感覚がおのずと肌に合い、許容されていくとき、既存の力を失っていく代わりに“自由意志による選択”や“自己責任論”につきまとう重苦しさが緩和され、偶然に生かされたその先で、新たな自分が生まれてくる、すなわち「生まれ直し」を遂げていくのではないでしょうか。
その意味で、2022年下半期のおとめ座もまた、そうした象徴的な「生まれ直し」の節目を迎えていこうとしているのであり、そこではみずからの「弱さ」をどう受け入れていけるかが問われていくはず。
たとえば、病院へ行けば一見すると「弱くてなんの力もない、面倒をかけるだけの存在」を目にすることができますが、彼らは弱いから価値がないのではなく、むしろ横にいる人々に力を与えたり、それぞれの文脈において大切な価値に気づかせてくれる、きわめて貴重な存在でもあります。そこには、今期のおとめ座が身をもって知っていくべき、「弱さ」に秘められた大きな力の在りようが示されているように思います。
2022年下半期:おとめ座の各月の運勢
7月「落とし穴ドッキリにあえてハマる」
7月2日に前後して、おとめ座の守護星で「学習」の水星は、「規則性」の土星と共感的に結びつきつつ(120度)、「不可解さ」の海王星と鋭く対立していきます(90度)。
この配置は、事前にきちんと訓練をして安全装置も点検してから、落とし穴ドッキリにかかっていくようなもの。落ちる側の心理としては、「ああ、こんなこと以前にあったな」とか「またこれか」といったところでしょうか。それは夢の中で自分が夢を見ていることに気づく瞬間にも似ているかも知れません。
いずれにせよ、この時期は、どこかでゆるみが生じて「アホになる」経験をしていきやすい訳ですが、同時に、似たような経験と突き合わせつつ、そこから何かを学ぼうともしていくはず。
8月「自己受容の訓練」
8月9日に前後して、おとめ座を運行していく「言語化」の水星が、「本能」の月と同調つつも(120度)、「受容と肯定」の木星と努力して結びついていこうとします(150度)。
この配置では、自分の無意識的な癖や症状が思いがけず野放しになって強調されてしまうことで、改めて自覚が促されていくという流れが起きていきやすいでしょう。しかも、それを無理やり矯正していこうとするのではなく、相手のことであれ自分事であれ、変えられないものは変えられないのだと、寛容に受け入れるようになるべく訓練していくことが、ここではテーマになっていくのです。
自分のことでさえ、そのすべてを受け入れられる人はごく稀ですから、少しずつでも自分自身にやさしくしてあげるべし。
9月「無礼講タイム」
9月2日に前後して、おとめ座の守護星で「好奇心」を司る水星が、「突撃」の火星と盛り上がりつつ(120度)、「拡大」の木星と真っ向から向き合っていきます(180度)。
これはほんの興味本位ではじめたことがエスカレートして歯止めがきかなくなっていって、やりすぎてしまうという配置で、例えばおいしい海鮮丼が食べたくなって、ノリで飛行機にのって北海道に行ってしまうような行動をイメージするとちょうどいいかも知れません。
火星も木星も、より大きな世界に飛び出していこうとする惑星で、この時期はそれらが協力しあってあなたを外へ外へと引っ張り出そうとしていくのです。結果的に、余計な出費がかさむ代わりに行動範囲や人間関係が広がったり、小さなことにとらわれなくなるはず。ある種の無礼講タイムなのだと割り切ってしまうといいでしょう。
10月「深淵もまた」
10月7日頃に、おとめ座の守護星で「脳の活動」を司る水星と、「底力」の冥王星が同調して結びついていきます(120度)。
冥王星は、ほどほどということを許しません。必ず一定の限界を超えさせようとしてくるので、今月はいったん何かを知りたいと思って水星のスイッチが入ると、どこかバケモノじみた執着心やこだわりに繋がっていきやすいでしょう。あるいはその前に、既にバケモノに出会って魅入られているのかも知れません。
この時期はニーチェの「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。」という言葉を頭の隅においておくといいでしょう。
11月「イナンナの冥界下り」
10月28日にいったん木星はうお座に戻り、今月から12月20日に再びおひつじ座に戻るまでのあいだ、改めて2022年下半期の全体運で述べた「新たな生を招き入れていく」というテーマをまっとうするべく、今月は、自分の輪郭がなくなるほどに、誰か何かととことん向き合っていくことができるかが改めて問われていくでしょう。
そして、そこで鍵になってくるのが、「カオスに侵食されること」をどこまで許せるか。これは例えば、シュメール神話の「イナンナの冥界下り」において、イナンナが冥界の底へ下りていく際に、7つの門をくぐるごとに身に着けている衣服と装飾品を1つずつ取られていったことに象徴的に表されています。
さながらそんなイナンナになったつもりで、生まれ直しを促してくれそうな相手や場所に、みずからおもむいてみるべし。
12月「精神にかけられた保険の発動」
12月2日に前後して、おとめ座の守護星で「精神」を司る水星が、「謎」を司る海王星と鋭くぶつかり合っていきます。
狂気ないし精神疾患を、正常で健常な精神や状態と比べて価値が劣るかと言えば、決してそうではないでしょう。むしろ、狂気とは人類の精神のバリエーションであり、そうしたバリエーションが出現するのは、それは異常ないし危機的な状況や環境においてはより適応力を発揮するから、という考え方も成立するはず。例えば、絶海の孤島に漂着してサバイバル生活を余儀なくされたロビンソン・クルーソーがかくも孤独に対する耐性を備えていたのは、彼が統合失調症だったからこそ適応力を発揮できたのかも知れません。
同様に、もしこの時期に少し頭がヘンになってしまったとしても、それはもともと人類にかけられていた精神への“保険”が発動しただけなのだと考えるくらいでちょうどいいでしょう。
2022年下半期:おとめ座の「お守りにしたい言葉」
外側は空気が動いていた。そして限界が広く開けた。入江うちが淀んで凪いでいても、此処に来て、足を一歩入江そとの方にふみ出すと、風が耳のうらを鳴って通り、身体の中に飼っている鳩が自由なはばたきをあげて飛び立つ思いをした。沖合の波は白く穂立ち、かもめがゆるく舞っていた。そして入江は海峡に大きく口を開き、その海峡越しに、はるか向うの島の山容、海岸沿いの県道の赤い崖崩れなどが、痛いようにこちらの気持に手を差し伸べて来た。入江うちでの重い荷のようなものが、背中からはがれ落ち、私は軽々と自分自身になって、何の才能も技能もないままの姿を浜辺に伏せることができた。(島尾敏雄、『出孤島記』)
南海の孤島にたてこもり、特攻作戦に従事する180名の部下たちと出撃命令を待つ局限的な状況のなかで、主人公は隊長としての責務を果たさんとする一方で隣村に住む女性と恋に落ち、夜な夜な逢瀬を重ねます。
この浦の外側へと抜けていく描写は、本来は決して交わりえない、軍という公的世界の規律が海=女性という自然の律動へと開けていく奇跡的な交わりの光景であり、「新たな生を招き入れていく」ための通過儀礼でもあったのではないでしょうか。
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