おうし座
この先の人生の見立てを得るために
二度目の誕生をめざして
今週のおうし座は、低山歩きの魅力のごとし。あるいは、古い自分が死んで、精神的に生まれ直していくための環境を整えていこうとするような星回り。
昨年、NHKで『にっぽん百低山』という番組がスタートした。これは奥深い高山から身近な低山へという昨今の山歩きのトレンドを反映したものでもありますが、日本の登山史を振り返ってみると、この低山歩きへの回帰現象には単なるトレンドを超えた本質的な意味あいが含まれていることに気付きます。
というのも、純粋に山に登ることを目的として「登山」を始めたのは中世の山伏たちでしたが、彼らが登ったのも「低山」だったのです。平地につくられた大きな寺には所属せず、国の認可も得ようとしなかった彼らは、自分たちの修業場を平地と山深くのあいだにある「端山(はやま)」に設け、自分を覆っている殻をやぶって「二度目の誕生」を目指す修業にはげんだのです。
その背後には、神の領域である深い森に覆われた奥山が控えている一方で、眼下の平地にはさまざまな人間的な欲望が入り乱れる世俗が広がっており、これらは文明の力が及ばない手つかずの自然としての「死」であり、日常の暮らしとしての「生」とも言える。そうした平地と奥山という対極的な2つの領域の中間を歩くのが低山歩きな訳です。
そしてその魅力は、山伏という存在と同様、2つの領域のどちらにも属さず、どちらのものでもない稜線(りょうせん)を歩いていく儀式性や“パンクさ”にあったのではないでしょうか。
9月23日におうし座から数えて「イニシエーション」を意味する6番目のてんびん座への太陽入り(秋分)を迎えていく今週のあなたもまた、生と死の中間を歩いていく感覚を研ぎ澄ませていくべし。
スーパーフラット!
『源氏物語絵巻』などの王朝絵巻しかり、平安時代以降のやまと絵に見られるような、天井を描かず、斜め上空から室内の登場人物や彼らが織りなす出来事をのぞき見ているかのように描く方法を「吹抜屋台技法」と呼ぶそうです。
この技法で描かれた絵巻物を右から左に見ていくと、視線が空間の中をどこまでもフラットに水平移動していくのですが、次第にこうしたパースペクティブのあり方こそが、日本の物語性を成立させていたのだということが分かってきます。
つまり、始まりも終わりも曖昧で、どこからでも話を始められる。そこにはバーチャルとリアルとが混在しながら同じ平面に存在していて、富める者と貧しい者、生者と死者、あるものとありつつあるものとが一緒になって踊っていく。それが日本的な「現世(うつしよ)」観(あの世とこの世の中間から見たこの世)であり、この場合の「うつ」は移動の「移」であり、写真の「写」であり、映像の「映」でもある訳です。
これは客観視とか俯瞰というのとも違っていて、この角度から見ていくとすごいものが見えるよ、という一種の「見立て」であり、俳句や和歌や盆栽や庭も、そこから生まれてきている。そして、低山を歩いている時のまなざしというのも、これに近いのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、みずからの人生をたえず移ろい続ける絵巻物に見立てていくことで、これまで見えていなかったこの先の生の在り様がさっとひらけてくるはずです。
おうし座の今週のキーワード
吹抜屋台技法の血肉化