てんびん座
呼び水をまく
無意識の口走り
今週のてんびん座は、みずからの「うわ言」を命綱にしていった中島らものごとし。あるいは、改めて境い目的な領域からこの世的現実に引き戻されていくような星回り。
何度も危ない一瞬に差し掛かりつつも、こっち側に戻ってきた稀有な日本人作家の1人に、中島らもがいます。例えば、アル中になって入院したことをきっかけに、そのあり余る膨大な時間を使って、自らの実体験を書いた『アマニタ・パンセリナ』という本。
ここには睡眠薬、覚せい剤、阿片、幻覚サボテン、咳止めシロップ、毒キノコ、有機溶剤、ハシシュ、大麻やLSDなどさまざまなドラッグの話が登場し、それらの大半が「ジャンキー」の側から語られており、当然のことながら何人もの愛すべき人たちが死んでいきます。
「腐っていくテレパシー」というバンドをやっていたカドくんや、オーストラリア人の大男で大酒飲みで薬物中毒だったマイケル、ショーウィンドウの飾り付けプランナーだったスキニーなど。彼らと中島とを分けたものは一体何だったのか。
おそらくそれは、「自失する」気持ちよさとは別に、「自分に即して物を書く」ことのよろこびを知っていた点にあったのだと思います。つまり、最初は学術書からの孫引きだけで本を作ろうと考えていたものの、「そのうちに『バチが抜けて』、内容がどんどん私的なものになって」いくにつれ、中島は自分や仲間たちについて書き出す文章に酔っていき、夕食を告げる母親の声で我にかえる子どものように、それで何度もこの世界に連れ戻されたのでしょう。とはいえ、中島は返す刀でこうも言っていました。
ドラッグについて、酩酊について書くことは、死と生について語ることと同義である。ただ、医者や学者に語る資格がないのと同じように、生き残ってしまった側にも真相は見えていないに違いない。だから、この文章も「うわ言」の一種だと思っていただくとちょうどいいかもしれない。
5月28日にてんびん座から数えて「自失」を意味する12番目の星座であるおとめ座で上弦の月を迎えるべく光が戻っていく今週のあなたもまた、現に生き残ってしまっている側のひとりとして、どれだけ「うわ言」を繰り出していけるかがテーマとなっていきそうです。
<外部の主語>を呼び込む
例えば映画『2001年宇宙の旅』において、400年前のアフリカで起きたサルからヒトへの進化を助長する役割を果たした「モノリス」は、もともとラテン語とギリシャ語に由来した「一枚岩」の意味で、ストーンサークルや古神道における磐座(いわくら)信仰などとも関連してくる代物でした。
京都の鞍馬山の奥の院・魔王尊も、650万年前に地球霊王たる魔王尊が降り立ったとされる磐座信仰の聖地ですが、聖別される場所(聖地)には当然選ばれるだけの理由があって、それは磐座だけでなく、そばを流れる川や湧き水、薬草、地質、地形、植生などなど、様々な点と点が繋がりあうことで、深い深い循環システムを持っていたのです。
モノリス=聖なる一枚岩というのは、あくまでそうした循環システムを稼働させていくための「意志」の発動のシンボルであり、言わばスイッチのような役割を果たしていたのだと言えます。
人間、頭で考えたからって何かを始められる訳じゃないんですよね。先の中島らもだって、本を書こうと思って「はいできた」と本ができた訳じゃない。どこかから「意志」つまり<外部の主語>を持ってきて、そこから行為が始まっていった訳で、「うわ言」という表現も、意志を発動させるには呼び水が必要であるということの言い換えだったのではないでしょうか。今週のてんびん座もまた、そうした意味での呼び水をまいていくべし。
てんびん座の今週のキーワード
酩酊について書くことは、死と生について語ることと同義である。