てんびん座
いのち懸けということ
知識の流れと貨幣の流れ
今週のてんびん座は、アンチ-知識人たらんとしていくような星回り。あるいは、言葉をカラダで動いてみようとすること。
いま、私たちにとって知識というものがお金のようになってきつつあります。どれだけ効率よく、たくさんの知識を自分のところに蓄積できるか、という点に興味がいくようになって、資本主義社会における貨幣の流れと同じで、特定のところに集中するばかりで、うまく循環していないのです。
だから、テレビなどでも「知識人としての自分は」という意識が前面に出ているような人が出てきた場合は、注意しなければなりません。彼らが発する言葉というのはテクノロジー的で、正確だけど冷たく、カラダと意識との連動を切り離していく方向に働くからです。
ではどういう知識の在り方であれば、カラダと意識が連動していく方向に働くのか。それは簡潔にいえば「熱くなれる」ものがあるかどうか、ということにかかってくると思います。それは面白がっているというだけでなく、自分の語っている思想にいのちを懸けているかいないかの違いでもあります。
いのちを懸けていれば、その人は知識を体験まで降ろしている人であって、もはや単なる知識人ではなくなっていくのです。
その意味で、16日にてんびん座から数えて「中長期的な視点」を意味する11番目のしし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけ「泣く」や「笑う」のように内から外へと流れ出していくような響きのなかにみずからを置いてみるといいでしょう。
博打としてのクリエーション
例えば俳句の世界では、熱心に詠んでいるうちに次第に句が自分の好きなものに似てくるのだということがよく言われます。
たしかに芭蕉の俳句はどこか旅に似ているし、蕪村の俳句は絵に似ている。ということは、猫が好きな人は猫のような俳句になっていくし、タロット占いが好きな人はタロット占いみたいな俳句になっていくのでしょう。
そうだとすれば、単なる知識人とそうでない人とを分ける基準というのも、やはり何かが「好きだ」という熱エネルギーが具体的な形状へと冷やして固められるほどに十分すぎる量を注いできたか否かということになってくるはず。とはいえ、考えてみればこれはなかなかに怖ろしいことで、そこには自分の生き写しがパッと現れてしまう訳です。
その意味で今週のてんびん座は、自分の生き写しでも創り出すつもりで何事かに取り組んでみるといいでしょう。鬼が出るか蛇が出るか。それとも仏が出てくるか。そんな博打に乗ってみるのも悪くないのではないでしょうか。
てんびん座の今週のキーワード
意識とカラダがうまく連動した成果としての名句