かに座
これまでにない風景を見るために
頭脳による否定を超えた地平
今週のかに座は、『胸分に春の野をゆく病ひかな』(高山れおな)という句のごとし。あるいは、頭で否定しても否定しきれないものを受容していこうとするような星回り。
「胸分(むねわけ)」はあまり日常で聞かない言葉ですが、辞書をひくと「鹿などが草木を胸で押し分けて行くこと」とあり、和歌では万葉集にも用例があるほど古くから使われてきたようです。
「病ひ」というのが、風邪などの実際の病気のことなのか、それとも恋わずらいや気持ちの落ち込みなど精神的なそれなのかは分かりませんが、いずれにせよここでは身のうちに宿してしまったコントロール不能なものがあって、そこに「草を胸で分けて進んでいく」ようなイメージを重ねている訳です。
「病ひ」と言えばウイルスであれ失恋であれ、何かしらネガティブなものとして捉えるのが普通の反応だと思いますが、おそらく理屈ではなく体感として、自分のなかにこれまでにない新しい動きや新しい関係性、ないし新しい生き方に向かいつつある予感が芽生えているのでしょう。
確かに、生命というのは本来こうした頭脳による否定を超えた地平をその射程に入れて生きているものであり、加齢やケガや失敗などが起きた時ほど、これまでとは違った風景を見れるチャンスと捉えてべきなのかも知れません。
28日にかに座から数えて「深い実感」を意味する2番目のしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、コントロール不能なものにこそ積極的に付き従って、その先にある新たな風景を見届けていきたいところです。
よく生きるために
生きること――それは、死に絶えようとする何ものかを、わが身から絶えず追放することを意味する。生きること――それは、わが身の中の、またわが身に限らず、脆弱で古くなった一切に対して、容赦なく苛酷であることである。
生きるとはしたがって――死に逝く者、衰弱した者、歳を重ねた者への畏敬の念をもたないことではないだろうか?常に殺害者であるということではないか。――しかしながら、老いたるモーゼは言ったものだ。「汝殺すなかれ!」と。(『喜ばしき知恵』、村井則夫訳)
「生きる」をめぐるニーチェの考察をここで再び掲句に援用するなら、病いに重ねられた「胸分」とは、みずからの中の「死に逝く者」や「衰弱した者」、そして「歳を重ねた者」を殺すことなく天上へ、あるいは草葉の陰へと押しやって、それをしかと目を開いて見送っていくための儀式だったのだとも考えられるのではないでしょうか。
その意味で今週のかに座は、自分の中でいま死につつあるものと、それを超えて生きようとするものとの葛藤を通して、腑分けと昇華のプロセスを進めていくことがテーマとなっているのだとも言えます。
かに座の今週のキーワード
脆弱で古くなった一切に対して、容赦なく苛酷であること