かに座
資本主義という幻想を見据えて
行動や意識より深い関係性としての<浸り>
今週のかに座は、「植物新世」という言葉のごとし。あるいは、「世界に在る」ということを、空気の構築に参与していくという視点から捉え直していこうとするような星回り。
ここのところ、人間の活動が地球に地質学的なレベルの影響を与えていることを表す「人新世」という言葉をよく耳にするようになりましたが、それを受けて哲学者のコッチャは
「数百万年もの昔、動物的生命の可能性の条件を産み出し、世界を変容させたのは、他ならぬ植物だった」と前置きした上で、古代ギリシャのアナクサゴラスの「すべてがすべてのもとにある(パン・エン・パンティ)」という世界像に触れて次のように述べています。
「植物新世」こそが、世界が混合であること、そして世界のあらゆる存在は、世界がその存在の中にあるのと同じだけの強さをもって世界の内にあるということの、最も明確な証左なのである。(『植物の生の哲学』)
ここで言う「混合」とは、あらゆるものが相互に浸透し合い、循環し、伝達しあっているという世界像の端的な表現であり、そこには時に私たちがプライベートや私有地という仕方で想像する空間的な不可入性はじつは幻想に過ぎないのだという警鐘も含んでいます。
人新世という概念は、世界の実在それ自体を定義づけるものを、単一の営為、歴史的で否定的な営為へと変形してしまう、つまり自然を文化例外に、また人間を自然外の原因にしてしまうのだ。その概念は、とりわけ世界が常に生物の呼吸の現実をなしている事実を、顧みようとしない。(同上)
1月7日に自分自身の星座であるかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自然と人間、男と女、内と外、過去と未来など、あらゆる境界線を越えた超越的な「浸り」に参加していくつもりで、新しい年を迎えてみるといいでしょう。
『風の歌を聞け』と村上春樹
例えば、村上は1979年にこの小説で賞を受賞し、デビューしましたが、その際、物語を当初は英語で書いてみたり、あるいは、いったん書いた物語をバラバラにし、シャッフルして再構成するという手続きを踏んでいったのだそうです。彼はそこで何をしようとしていたのか。村上は次のように述べています。
結局、それまで日本の小説の使っている日本語には、ぼくはほんと、我慢ができなかったのです。我(エゴ)というものが相対化されないままに、ベタッと追ってくる部分があって、とくにいわゆる純文学・私小説の世界というのは、ほんとうにまつわりついてくるような感じだった。(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』)
つまり日本社会に蔓延していた空気感や、無意識のうちに体に染み込んでいた文脈を、さながら二酸化炭素をとりこむ植物のように言葉の単位まで分解・解体し、その上で身をもってまったく異質の物質を光合成するかのごとく物語を紡いでいったのです。
今週のかに座もまた、そんなかつての村上のように、自分がこれから新たに生きようとしている文脈の端緒を、相応の苦闘の末に見つけようとしていくことでしょう。
かに座の今週のキーワード
これまでとは異質な空気感の生成