おとめ座
未熟さへの怯えを止める
手にした棒は離さない
今週のおとめ座は、「蛇打ちし棒が昨日も今日もある」(北野平八)という句のごとし。あるいは、「背に腹はかえられぬ」という必死さを取り戻していくような星回り。
道すがら思いがけず蛇に遭遇して、そのへんに転がっていた棒を夢中でひっつかみ、ただただ無心で蛇を棒で打った。その棒が、昨日も今日も同じ場所に転がっている。目にする度に、あの時の感触が思い出されて、嫌な気分になるのだろう。
そんなに嫌なら、いっそ棒を捨ててしまえばいいじゃないかと思うかもしれない。しかし、作者にはそれができなかったのだ。蛇のように嫌われ者であれ、殺生というのは嫌なものだが、かといって生きていく限り決して無縁ですまされるものでなし。やはり棒は捨てずに置いておくしかないのだ。
これを今のあなたに置き換えていく場合、一体何が「棒」にあたり、何が「蛇」となるだろうか。
少なくともひとつ言えることは、言葉であれ仕事であれ生き方であれ、一度自分の手に馴染んだ以上は「棒」は自分自身そのものであるということです。
自意識の置きどころ
たとえば何かの専門家というのは、概してみな自意識が強いものですが、大別するとその自意識を隠したいと思って隠せないタイプと、隠さずに自己顕示していくタイプのどちらかに分かれていくように思います。
逆に言えば、自意識がほとんど感じられない「普通の人」然とした顔でい続けられる専門家やその道のプロというのはとっても珍しい。
けれど考えてみたら、何でもないような顔をして、自らの素直さや傷つきやすさを垣間見せてくれる専門家というのは、最高の理想じゃないだろうか。
最近だと、詩人の最果タヒさんとか、少し前だと俵万智さんなんか、そういう意味での天才なんだと思いますが、どちらにも共通しているのは、自分の未熟さに怯えてないような空気感。なぜ、怯えてないんでしょう?
何かそこに、おとめ座の人が忘れがちな大切なものがある気がします。
今週のキーワード
脱・完璧主義