おとめ座
いつかは飛ぶのです
見事に抜けていくこと
2018年、最初の週のおとめ座は、「空蝉やいのち見事に抜けゐてり」(片山由美子)という句のごとし。あるいは、自分の中で封じ込めていた思いや考えを、遠くまで届けていくような星回り。
「空蝉(うつせみ)」とは、蝉の抜け殻のこと。地中で生息していた蝉の幼虫がさなぎとなり、地上に這い出て成虫となっていく中で、背を縦に割って飛び出た痕がそこに見られます。
今あなたは、どこか収まりの悪い未来への期待感のはざまでムズムズしているかもしれませんね。それはまさに、いよいよ飛び立たんとしている蝉の姿に似ています。
「あたしの孤独を持ち上げようとするのは小学校でならったライト兄弟の飛行機!
あたしの右の翼はあたしの苦しみです。あたしの左の翼は革命です。あたしが飛ぼうとするとき、このさむい空の上から心臓までまっすぐにオモリを垂らそうとするのは誰ですか?
あたしは、いつかは飛ぶのです。ここより高い場所がきっとある」
(寺山修司『千一夜物語・新宿版』)
そう、きっとそれはあり、そこへは自らの翼で羽ばたくのです。今年は行けるところまで行きましょう。今週はそのための覚悟を決めるにはもってこいのタイミングです。
臆病であることと博打にでること
『賭けるゆえに我あり』の中で森巣博はこう豪語しています。
「博打で負ける奴はバカなのである!」
そして博打の極意は「勝ち逃げ」であり、それしかないのだと。ただし現実には、「勝っているのに席を立てない」人がほとんどなのだそう。これは実感としてもよく分かる気がします。
本来、賭博というのは勝敗確率がほぼ50%、勝ったり負けたりするのが当たり前の話なのですが、一度勝つと「自分はもうちょっと勝てるはず」とつい思い込んでしまう。
だからこそ森巣は強調します。
「臆病じゃないと、博打では生き残れない。同時に、リスクを冒さないと、やっぱり死んでしまう」
これは仕事や人生にも通じる話ですが、肝心なのは、矛盾の荒海の中で勝ったり負けたりしながら、タイミングを見計らって「顔が水面上に浮いた時に、現金を掴んで逃げる。「脇目も振らず、ひたすら逃げる」こと。
今週このことを忘れずにいられれば、のちのち喜びが広がっていくはずです。
今週のキーワード
『賭けるゆえに我あり』