
おとめ座
捨てて捨て得ぬもの

映画『ほかいびと』のインタビューにて
今週のおとめ座は、これまでの自己像や生き方をガラリと変えていった井上井月のごとし。あるいは、「こうであらねば」というこれまで負っていたタガがどこか外れていくような星回り。
幕末から明治にかけて、井月(せいげつ)という漂泊の俳人がいました。30代半ばを過ぎて、どこからともなく長野県の伊那谷の地にやってきては、家も持たず、家族も作らず、ここに一泊、あそこに一泊と、一所不在をつらぬいて、およそ30年にわたり放浪生活を続けていったのだとか。
そしてその際、泊めてもらった家の者への一宿一飯のお礼として祝福の句を置いていったのだそうです。彼を描いた映画『ほかいびと』で井月本人を演じた田中泯は、あるインタビューの中で、元は長岡藩の武士だったとされる井月の転身ぶりについて、次のように語っています。
少なくとも僕自身は、人間の体が身についていたものから、そこの土地、あるいは暮らしによって、その体が誰から見ても違っていくというのが、やっぱりすごいことだと思いますね。王様は王様の服を脱いでも王様に見えるわけです。ところが、一般の人が王様の服を着ても王様には見えないということと、同じことだと思います。
侍じゃない人が侍の着物を着たって侍には見えないのであり、その逆も然りだと言うんですね。続けて井月の魅力というか、惹かれる部分について聞かれて、こうも答えています。
日々どんな深みといいますか、機微というよりはもう少し違った深さ、自然を見る目であったり、感じるセンスというのですかね。そういうもののすさまじい人だったろうと思うんですね。そういう人が30年間も本当に、特に毎日帰る場所を持たずに生き続けたという、僕にとっては奇跡に近い存在ですよね。
7月7日におとめ座から数えて「応答性」を意味する10番目のふたご座に「まさかの変化」をもたらす天王星が移っていく今週のあなたもまた、影響を受ける先というか、自分が何かしらの責任をもって応えていく相手や場に、何かしら新風を吹き込んでいくことになっていくでしょう。
失踪の必要性
1991年3月3日、熱海の防波堤で釣りをしていた演歌歌手で当時郷ひろみの物真似芸でもお茶の間の人気者だった若人あきらが行方不明になるという事件が起きました。当初は、現場に釣り竿と帽子が残されていた不自然さから、ワイドショーを巻き込んでの大々的な捜索が行われたにも関わらず早急な発見にはいたらなかったそうです。
ところが、失踪から3日後、現場から30キロ離れた小田原市内の路上でうずくまっているところを発見されたものの、失踪期間中の記憶はひどく曖昧で、誘拐されたかのような内容を語ったことで、北朝鮮拉致説もささやかれたのだとか。結局、それは後に本人によって否定されはしましたが、事件の真相が明らかにされることはついぞありませんでした。
その代わりというわけではないですが、彼は事件後に若人あきらから我執院達也へと改名し、かつての物真似路線から離れ、音楽プロデューサーや俳優として活躍していくようになっていきました。
おそらく、彼にとって失踪事件はそれなりの必要性があって起きたのでしょう。もしかしたら、物真似芸人という立場に、周囲が思っていた以上の屈託を抱えていたのかも知れませんし、その他の理由もあいまって自分の役割を見失い、いわゆる中年の危機の陥っていたのかも知れません(事件当時の年齢は40歳)。
今週のおとめ座もまた、どこかで抱えてしまっていた屈託を、別の形で解消していけるだけの‟場”に、どんな仕方であれ身を置いていけるかがテーマとなっていくでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
首なし地蔵呪(まじない)にきく(井月)





