
おとめ座
沈思黙考

境界の消失体験
今週のおとめ座は、「若楓おほぞら死者にひらきけり」(奥坂まや)という句のごとし。あるいは、太古的な感性のよみがえりを実感していくような星回り。
視覚的に鮮やかなイメージ性を訴えつつも、非常に深い精神的な層を持った一句。「若楓(わかかえで)」は、みずみずしい新緑の時期に用いられる初夏の季語であり、冒頭から死や老いなど自分には関係ないといった若々しさを示しています。
しかし、つづく七五ではすぐさま「死者」の存在が示され、そのたましいの行方としての「おほぞら」へと若楓(若い命)もまた開かれているのだと告げられるのです。
だとすると、どこまでも広がっていくような「青空」と光を透かして鮮やかに広がる「若楓」というのは、死者が見ている風景であると同時に、生者がふいに死者の世界と重なりあっていく際の媒介装置でもあるのではないでしょうか。
おそらく、ここでは死と生の境界が消え、両者が同じ自然の中にあると感じる一体感が詠まれている。そして、掲句の根底にあるのは、人間が自然と死者と、そして自身の存在の起源とを、言葉ではなく感覚で結びつけていた太古の時代の感性のよみがえりでしょう。それは、宗教以前、哲学以前の、もっと根源的な「世界とのつながりの直感」とも言えるかも知れません。
5月4日におとめ座から数えて「隠れた領域」を意味する12番目のしし座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、ずっと近くの広がっていたはずの未知の光景を再発見していくことができるはず。
沈黙と下降
『新世紀エヴァンゲリオン』のじつに象徴的なシーンの1つに、主人公である中学生の碇シンジとヒロインの一人である綾波レイが、巨大人型兵器エヴァンゲリオンに搭乗するために地下基地に降りていく場面があります。
彼らはいっさい言葉を交わさず発せず、ただひたすらに地下に降りていく。おそらく1分近く画面がまったく変化しないため、見ている人の中にはフリーズしたかと勘違いする人もいたでしょう。
ただ、それがエレベーターの乗り込む場面と降りる場面にサンドイッチされていることで、はじめてその沈黙の深さに思い至ることになる訳です。そして、こうした果てしない下降感覚というのは、多くの現代日本人が日常の中で見失いつつある一方で、そこはかとなく希求しているものの1つなのではないでしょうか。
どこまでも降りていくことによって開かれてくるもの。それは、どうしようもないほどの無明感情であり、エヴァ的に言えば「堕天使の哀しみ」であり、「自分はどうにもならない」、「救われない」、「生まれてこなければよかった」、「生きていてもつらいだけ」、「誰からも普通扱いされない」、「普通の人間でなくなった」などといった苦悩の感情への深い受容と自覚でもあるはず。
今週のおとめ座もまた、不要不急な言葉はなるべく伏せて、それらの背後にある根本的な感覚をこそ深めてみるといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
埋葬されたもう一人の私





