
おとめ座
原始的な眼つきで

愛すべき敗者たちの心的態度
今週のおとめ座は、武士のエートスの継承者のごとし。あるいは、果たされなかった願望を自分なりに受け継ぎ、これからの時代に芽吹かせていこうとするような星回り。
大澤真幸は「日本人はあの「革命」の敗者に深く共感している」のなかで、現代の日本人の大抵は、戦後の民主化に対するのと違って、明治維新に対して殊の外ポジティブな思いをもっていると指摘した上で、さらにその熱い視線の先にいるのは、明治の元勲となった大久保利通のような維新の勝者ではなく、そのすぐ脇にいた敗者たちなのだと述べています。
たしかに新選組や西郷隆盛、坂本龍馬などに関して、後に作られた伝説や誇張、フィクションなどは枚挙にいとまがありませんが、大澤は彼らを例に挙げ「日本人は、勝者となった方の武士(武士であることを放棄した武士)ではなく、敗者となってしまった方の武士の果たされなかった願望をこそ、できるならば受け継ぎたい、と思っているのである」と書いた先で、次のように自身の考えをまとめています。
われわれは明治維新から150年を経た今日でも、敗者となった武士の無念に深く共感している。もしわれわれが、その願望を完全に受け止め、それを実現することができれば、われわれ日本人は、このときはじめて、真に偉大なもの、偉大な社会を創設した、という自己確信を得ることができるだろう。だが、武士というものは、基本的には個人主義的で私的な戦闘者である。そんなものたちが跋扈し、活躍する社会を作れ、ということなのか。もちろん違う。
たとえば、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のことを思うとよい。(…)資本主義を構成する資本家や労働者たちは、もはや熱心なクリスチャンではないかもしれない。しかし、エートスとしてはプロテスタンティズムは生き、歴史の勝者になったのである。同じように、武士のエートスを歴史の墓場から救い出し、現代に生きる勝者とすることができれば、日本人は確実に何かを創設したことになるだろう。
2月12日におとめ座から数えて「歴史的想像力」を意味する12番目のしし座で満月(リリース)を迎えていく今週のあなたもまた、「敗者となった武士の無念」のような、なぜか気になったりひかれてしまう思いをすくい出していくことがテーマとなっていきそうです。
辻征夫の「春の問題」
また春になってしまった/これが何回めの春であるのか/ぼくにはわからない
人類出現前の春もまた/春だったのだろうか
原始時代には ひとは/これが春だなんて知らずに
(ただ要するにいまなのだと思って)
そこらにやたらに咲く春の花を/ぼんやり 原始的な眼つきで
眺めていたりしたのだろうか
これは詩の冒頭部分ですが、ここではいのちというものを自分ひとりの個と捉えず、わが身に人類の歴史や過去がすべて流入してしまっているかのような息遣いがあります。
ああこの花々が主食だったらくらしはどんなにらくだろう
どだいおれに恐竜なんかが/殺せるわけがないじゃないか ちきしょう
などと原始語でつぶやき/石斧や 棍棒などにちらと眼をやり
膝をかかえてかんがえこむ/そんな男もいただろうか
今週のおとめ座もまた、「そんな男」を身に宿して、いったんしゃがんだり、ボーっとしたりする時間をしっかりと確保してみるといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
わが身に人類の歴史や過去がすべて流入してしまっているかのような息遣い





