おとめ座
あやしい共感
よみがえりの若水
今週のおとめ座は、「若水を汲まん荒縄靴に巻き」(南うみを)という句のごとし。あるいは、なぜか懐かしさを感じる情景におのずと吸い寄せられていくような星回り。
今ではもうすっかり失われてしまった風習ですが、「若水(わかみず)」というのは元旦に初めてくむ井戸の水のことで、邪気を祓ってくれるとされたため、昔はこの水で年神へのお供え物や家族の正月料理を調えたのだそう。
私自身、水道の蛇口をひねってやかんに水を入れるくらいしかしたことはありませんが、この句は経験したことがないはずの情景であるにも関わらず、不思議と懐かしいような感覚を抱かせてくれます。
凍りついた雪の上で滑らないよう荒縄を靴に巻きつけ、今まさに井戸まで水を汲みに行くのだ。ひと巻き、ふた巻きと縄を巻いていくあいだにも、吐く息は白く、手は凍えていくかのようである。そして、そういう存在しないはずの記憶を思い出していくような仕方で、私たちは少しずつでもそれ以前とは異なる存在となり代わって、何らかのよみがえりを果たしてきたのではないでしょうか。
若水に重ねられた不死と再生に関する信仰のルーツは、新月から上弦の月、満月、下弦の月、新月と満ち欠けのループを繰り返している月にあるとも言われていますが、中でも三日月から上弦の月は復活と再起の契機。1月7日におとめ座から数えて「継承」を意味する8番目のおひつじ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、経験していないはずの記憶を思い出していくことになるかも知れません。
若き日のエマーソンの神秘体験
妻の死に直面し、29歳で牧師の職を辞したラルフ・ワルド・エマーソンは、迷いと衰弱の中で今後の人生の目標を探すようにヨーロッパ行きの旅に出ました。のちにアメリカの知的文化を先導する思想家となるエマーソンも、当時はキリスト教の伝統的な考え方にも馴染めず、かといってそれに代わる心の拠り所がある訳でもない、まさに何者でもない若者に過ぎませんでした。
そんなエマーソンに転機が訪れたのが、パリ植物園の博物誌展示室に足を運んだときでした。何気なく陳列されていたサソリの剥製を見ていると、不意にサソリと人間とのあいだの不可思議な関係に気付かされ、“精神の高揚”つまりある種の神秘体験が起きたのです。そのことについて、エマーソンは日記に次のように書いています。
あのサソリと人間のあいだにさえ、不可思議な関係が存在するのだ。私は内部に、ムカデを、南米産のワニを、鯉を、ワシを、キツネを感ずる。私はあやしい共感に動かされる。「自分は博物学者(ナチュラリスト)になろう」と
ここでいう「博物学者」という訳語は、単に「生命を愛でる人」と置き換えてもいいかも知れません。彼はこの時、宇宙と直接関係を持って生きていこうと決意したのです。
同様に、今週のおとめ座もまた、世間一般が押し付けてくる常識やロジックよりも、エマーソンが抱いたような「あやしい共感」にこそ従っていくべし。
おとめ座の今週のキーワード
存在しないはずの記憶を思い出すこと