おとめ座
世界を洗濯にかける
それもまた自然の姿じゃないか
今週のおとめ座は、『空も人も時化る』(種田山頭火)という句のごとし。あるいは、時どき大荒れしてしまう自分の心をひとつの自然現象として捉えていくような星回り。
「時化(しけ)」は海が荒れること。でも、この句では海が荒れているということは言わないで、別のことを言っています。おそらく、作者は実際に海沿いにいたのでしょう。しぶきをあげるほど物凄い高波だったかも知れません。そして、海が荒れることはまあ当然のこととして、海だけでなく別のことについて思いをはせているのです。
視線をあげれば分厚い雲が嘘のような猛スピードで流れていき、そんな光景を眺めているとふと誰かの顔や表情、かけられた言葉などがさっと浮かんでくる。恐らく、作者にとってそれは予期することすらできなかった暗い衝撃であり、以来脳裏をよぎるたびに魂の底から言葉にならないうめき声のようなものが漏れ出てしまうような類の体験だったのではないでしょうか。
そう、人もまたこちらの思い通りになってくれない自然現象であり、大いに時化るものなのだ、と。それでいい。自分だって家や仕事や普通の人生など、すべてを捨ててこうしてさまよい歩いているのだから、と。
だとすれば、句の「人」というのは、他人のことであると同時に自分のことでもあったのだとも考えられます。その意味で、7月6日におとめ座から数えて「ビジョン」を意味する11番目のかに座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたもまた、いっそ暴風雨になりきったつもりで、どこぞをほっつき歩いてみるといいでしょう。
既成の文脈を離れることの必要
村上春樹は1979年6月、『風の歌を聞け』で群像新人文学賞を受賞しデビューしましたが、その際、物語を当初は英語で書いてみたり、あるいは、いったん書いた物語をバラバラにし、シャッフルして再構成するという手続きを踏んでいったのだそうです。彼はそこで何をしようとしていたのか。それについて、彼自身の言葉で次のように述べています。
結局、それまで日本の小説の使っている日本語には、ぼくはほんと、我慢ができなかったのです。我(エゴ)というものが相対化されないままに、ベタッと追ってくる部分があって、とくにいわゆる純文学・私小説の世界というのは、ほんとうにまとわりついてくるような感じだった。(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』)
つまり、日本社会に蔓延していた空気感だったり、無意識のうちに体に染み込んでいた文脈を、言葉の単位まで分解・解体し、その上で「スン」する感覚を模索するかのごとく、物語を紡いでいったのです。
その点、今週のおとめ座もまた、自分がこれから新たに生きようとしている文脈の端緒を、相応の苦闘の末に見つけていくことができるかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
生活世界の脱構築