おとめ座
退行の時代を生きる
故郷喪失者としての私たち
今週のおとめ座は、『遠足をしてゐて遠足をしたくなる』(平井照敏)という句のごとし。あるいは、ふとありきたりな現実を否定するような心理が芽生えていくような星回り。
こういう気持ちに襲われたことは、誰もが人生で1度や2度は経験しているのではないだろうか。旅先で、不意に別の土地のことをふと思い出して、そこに行きたくてたまらなくなるとか。それまであまりお腹がすいてなくて適当に済ませてしまおうと、冷蔵庫の残りものを食べ始めてみると、無性にあの店であれが食べたいという気持ちが涌いてきたとか。
すでにある行為のさ中にいるにも関わらず、その行為とは別の仕方へと魅かれり、連れ去られたくなってしまう訳ですが、なんとなく、現代はこれを恋愛や結婚でやってしまう人が随分増えたという印象がある。
それは何かを実際にやってみると、こんなはずじゃなかった、本来ならもっと自分を満たしてくれるものがここではないどこかにあるはず、と現実をどこまでも上滑りしていく心理とも言える。しかし、そうしたさすらいは、さながら故郷喪失者のように、どこにも安住の地を得られないことが始めから分かっている。
だからこそ、詩人はこうした思いを実際に行動に移す代わりに歌にするのだ。その意味で、5月8日におとめ座から数えて「彷徨」を意味する9番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、日常的な現実では決して解消され得ないような思いに、不意に憑かれていきやすいはず。
レトロトピアの出現
約500年前にトマス・モアはまだどこにも存在しない未来の理想郷としての「ユートピア」を構想し本にしましたが、社会学者のジグムント・バウマンは現代においては、そうしたモア的なユートピアを二重に否定した「レトロトピア」すなわち、もはやどこにも存在しない過去の理想郷が人々のなかに出現しつつあるのだと喝破しました。
つまり、まだ到来していないがゆえに存在しない未来と結びついて存在していたものに代わって、失われ、盗まれ、投棄されてはいるものの、完全に死んではいない過去の中から複数のヴィジョンが出現し、それが積極的に自分たちの生きるべき世界として選択し直されているのだ、と。
これは現在のような極端な貧富の格差の広がりが放置されているような状況が、人々のメンタリティに及ぼす影響のほどについて考えれば、自然な流れであるようにも思えます。確かに、このまま社会が過酷な競争原理の働きや人間関係を解体する無縁化の荒波を解消できなければ、慢性的な不安状態に陥った人々は、自己を脅かす他者が存在せず、そもそも自他の区別さえも曖昧な自己充足状態をもとめて、ますます過去への憧憬やノスタルジアが広がっていくのかも知れません。
今週のおとめ座もまた、ひとりの“時代の子”としての自分自身を実感していくことになるでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
もはやどこにも存在しない過去の理想郷