おとめ座
関係の秘密
透明な共同体
今週のおとめ座は、『菜の花は触れ合ひながら隠し合ふ』(宮﨑莉々香)という句のごとし。あるいは、みずからの尊厳を守るため、一時的な協力関係を結んでいこうとするような星回り。
春先に土手を一面の黄色で覆う「菜の花」は、さながら箸が転んでも笑う年頃の少女たちのようにどこかキャッキャウフフと春の到来をはしゃぎ合っているかのような印象を受けますが、掲句を一読して妙に納得してしまった人も多いのではないでしょうか。
少女たちもまた、中身のない空騒ぎを半ば無心に楽しみつつも、もう半分の部分ではそういう自分を演じているに過ぎないのだと。
多感な精神を持て余した少女たちがしばしば生きていることそれ自体に鋭い痛みを抱えてしまうように、おそらくは春の野を黄色に染める「菜の花」たちもまた、どこかに存在の哀しみを宿しており、それを互いに手を伸ばし合う中で、巧妙に隠しているのです。
それは、哀しみを深いところで受け止めている者同士でしか育みえないある種のシスターフッドであり、危ういところでかろうじて成立している透明な共同体とも言えます。
3月10日におとめ座から数えて「手と手」を意味する7番目のうお座で新月を迎えていくところから始まる今週のあなたもまた、そんな菜の花たちにおのずと自分を重ねていくことになるかも知れません。
関係性の二面性
戦後まもなく出版された『ひとりの女に』という黒田三郎による恋愛詩集は、みんなが飢えてボロボロだった時代に、復員兵として南方から帰り、ひどく荒んだ日々を送っていた作者が生きる力を取り戻していく過程が描かれた連作なのですが、その恋の相手について、作者は「駆け」という詩の中で次のように書くのです。
馬鹿さ加減が/ちょうど僕と同じ位で
貧乏でお天気屋で/強情で
胸のボタンにはヤコブセンのバラ
ふたつの眼には不信心な悲しみ
ブドウの種を吐き出すように/毒舌をまき散らす
唇の両側に深いえくぼ
ここには1人の少女によって救われる異性の男性として在りながらも、同時にそれをどこか突き放した目線で(父が娘を見るような)見ているようなまなざしが入り込んだ、ある種の二面性が言葉になって現れてきています。
今週のおとめ座もまた、誰か何かを特別に美化してしまう代わりに、できるだけありのままに見つめていけるかどうかが試されていくでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
不信心な悲しみ