おとめ座
個の根底にあるもの
胸の奥の穴
今週のおとめ座は、「女という性」に斬り込んでいく中村うさぎのごとし。あるいは、自分もまた同じ穴のムジナであることを認めていこうとするような星回り。
多くの女は、欠落した自己に飢えている。オトコなんて、その自己の投影物に過ぎないの。だから女は「どんなオトコに愛されたいか」に固執する。それはオトコの個人性ではなくて、オトコの属性。(中略)つまり、彼女たちの選ぶオトコの属性は、彼女たちが自分自身に欲しがっている属性なのね。(『愛という病』)
女たちが「あたしのこと愛してる?」と確認したがるのは、別に男に捨てられる事を心配しているのではない。「愛されている」という「関係性の中での自己確認」ができないと、オキシトシンの分泌が止まり、相手の男に対する愛情も消え失せてしまうからだ。
どうしようもくなく愛し愛されたいという欲望の源泉は、結局ナルシシズムなのだと彼女は言う。さらに、それは「『孤独』という名の、決して埋まることのない穴」なのだと。
その穴は、若い頃には針のように小さいが、年を取るにつれて徐々に大きくなっていき、そこから冷たい風がひゅうひゅう吹き込んでくるようになる。その風を胸の奥に感じた時、女たちはふと仕事や家事の手を止めてこう呟くのだ。「私の人生には、何の意味があったんだろう?私という人間を、いったい誰が理解してくれているというの?結局、私という存在には、何の価値もないんじゃないかしら?」
これはおそらく彼女自身の心の声そのものであり、彼女は苦しみながらもこうして問いを真摯に追いかけ続け、魂を削るように文章を紡いできたのでしょう。
3月4日におとめ座から数えて「心の底」を意味する4番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、投影対象にただただ耽溺するのではなく、きちんと自身の「穴」に向き合って、自分なりの言葉でそこに問いかけていきたいところです。
エックハルトの「小さな火花」
宗教というものはある程度発達してくると、仏教のような「自己からの救済」を目指すか、キリスト教のような「自己への救済」を目指すかのいずれかに分かれると言われています。ただし、神秘主義的キリスト教になってくると自己の滅却や解脱に近い概念が存在し、それが目指されつつも、同時に個別的な魂や個としての自我のようなものも残すべきという複雑な立場になってきます。
例えば、中世ドイツの神秘思想家エックハルトなどがそうで、彼は「人間を偉大という街に運ぶラクダは、苦悩という名前を持っている」と述べ、どんな人でも徹底的に自分自身を捨て去らねばならぬと考えた一方で、たとえそれができたとしても「魂の内にあり、創造されることのない、創造することのできない光」すなわち「小さな火花」のごときものは残るとも述べています。
もし今週おとめ座のあなたが、思うような結果が残せていなかったり、十分と感じるほどに人から認められていなかったとしても、「誰も住まいするもののないこの最内奥においてはじめて、この光は満ち足りる」のだという、彼の言葉をどうか思い浮かべてみてください。
自分というものが消え入りそうなほどに「個=孤」の根底に入り込んでいった時ほど、「小さな火花」を見出す最良のタイミングなのですから。
おとめ座の今週のキーワード
人間を偉大という街に運ぶラクダ