おとめ座
“個”であることの解体と相対化
冬の時代の終わりにて
今週のおとめ座は、『オリオンの真下春立つ雪の宿』(前田普羅)という句のごとし。あるいは、終わりつつあるものの良し悪しを改めて見定めていこうとするような星回り。
冬の夜空の代名詞のような存在のオリオン座ですが、掲句では「真下」とあるのでちょうど天頂高くに昇っている夜半あたり(深夜0時の前後1時間頃)、つまり日付が変わって人の気配がしなくなっていく時間帯を詠んでいるのでしょう。
旅先でなんとなく高ぶった気を沈めるために夜空を見上げ、その際にオリオン座が西に傾く時間帯がわずかに早まっているのに気付いたのかも知れません。ああ、このいつ終わるとも知れない冬の長い夜を過ごせる時期も、もうすぐ終わりつつあるのだと。
確かに、立春をすぎるとオリオン座が南に空に昇っている時間帯は、夜半から次第に早まっていき、春分頃にはもう日が落ちて暗くなる頃には南の空に昇るようになって、さっさと西の空へと沈んでしまいます。つまり、春が来ると地上から雪が消えていくように、春の夜空にもあの厳めしく天に屹立するオリオン座は存在しえない訳ですね。
そういう意味では、立春とは立ち上ってくる新たな季節の兆しを拾っていく季節であると同時に、次第に終わりゆく季節の残滓を味わっていく季節でもあり、そうした大きな循環の前で「個」であることの軋轢や苦しみを相対化していくのが俳諧の本質なのだとも言えます。
2月14日におとめ座から数えて「自浄作用」を意味する6番目のみずがめ座で火星と冥王星とが重なって「完全燃焼」が強調されていく今週のあなたもまた、何が自分の精神を鍛え、純化してくれたのか、この機会に振り返ってみるといいでしょう。
言葉を通して殻を破っていく
ここで思い出される作品に、過去につけられた名前をめぐる詩があります。カリブ海諸国出身者として初めてノーベル文学賞を受賞した詩人デレック・オールトン・ウォルコットは、「歴史」によって名前を奪われた群島の子供として、みずからの名前をカリブ海の波間に放擲しようという衝動をしばしば詩行に滲ませてきました。
僕は海を愛する銅色のニガーにすぎん
健全な植民地教育を受けた人間
オランダ ニガー おまけにイングリッシュの血が入っている
僕はノーボディか さもなけりゃ一人で国家(ネイション)だ
(「帆船“逃避号”」)
彼はここで、初めは侮蔑語としての「ニガー」を逆説とともに引き受けたのち、みずからの家系に混入しているオランダ人やイギリス人の血を受けれつつも、ついには「ノーバディnobody」すなわち誰でもない無名性の自己認識に行き着き、そこから一気に「国家nation」という抽象的な怪物の名前へと変幻する、大胆なアクロバットを決めてみせています。
被支配のあらゆる切断と略奪の中を生き抜いた混血の群島人の子孫である彼は、ここで再び先祖が強制的に渡らされてきた海を、今度は自由に渡っていくための新たな遊泳力をことばの上で試そうとしていたのかも知れません。
そして今週のおとめ座もまた、過去の幻影にあなたを縛りつけるあらゆる拘束を脱ぎ捨てるべく、殻を破るための試みをしていくことがテーマとなっていくでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
<ニガー→ノーバディ→ネーション>の三段変化