おとめ座
恒を知り、小を見るために
どんなメディアを使っていくべきか
今週のおとめ座は、「メディアこそが人間を変えるのだ」という視座のごとし。あるいは、自分自身もメディアとして在るということを改めて意識させられていくような星回り。
かつてマーシャル・マクルーハンは、『メディア論―人間の拡張の諸相―』において西洋文明の3000年の歴史を振り返り、アルファベットの発明、活版印刷機の発明、そしてテレビの登場の3つが人類の思考と行動の様式を大きく変えてしまったことを指摘した上で、メディアというものを「熱いメディア」と「冷たいメディア」の2つに分けました。
彼は「熱いメディアとは単一の感覚を「高精細度」で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ」と述べ、その代表はラジオであり、音だけで囁くように人を熱く揺り動かす力を持つのだとする一方で、テレビは「冷たいメディア」の代表で、ただ受け身的に情報を垂れ流すだけだとしてこう述べています。
ティーンエイジャーが、集団的テレビに背を向けて、私的なラジオへ向かっている。(…)共同体の多様なグループと緊密な関わりを持とうとするのはラジオに本来的な特徴である。
彼がこう論じたのは1964年のことですが、現代の各種SNSなどは、「熱いメディア」と見せかけた「冷たいメディア」と言えるのではないでしょうか。そして、あなたという人間自身は「熱いメディア」と「冷たいメディア」のどちらとして、周囲の人に影響を与え、かつ周囲のどんなメディアから影響を受けとっているでしょうか。
12月27日におとめ座から数えて「情報ネットワーク」を意味する11番目のかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした他者への伝え方や向き合い方について、改めて問い直し、振り返ってみるといいでしょう。
老子の「明」
「汝自身を知れ」という言葉をみずからのモットーとしたソクラテスは、「知者」とも「詭弁家」とも訳される当時一級の職業知識人であったソフィストに対し激しい批判を向け、その上で「無知の知」を称揚しましたが、じつは同時代の老子もそれと似た哲学を持っていました。
例えば、「人を知り、議論するのは「智」。自分の心を照らすのは「明」」であるとして後者を強調しているのですが、これは明らかに「人と語るための言語知識が知者の条件である」という孔子の教えへの批判を含んでいます。
老子が面白いのは、この「明」ということについてさらに「恒を知るを明」(16章)と述べ、永遠とさえ感じられるような悠久とした時間を見つめ、自意識を最小化していくことだとする一方で、「小を見るを明」(52章)と述べ、微細なものを見ていくことが自分を知るということなのだとも言っているところ。
つまり、老子はこの宇宙の気の遠くなるような長さや大きさを知りつつも、人間や社会というものが、大きなことではなくあくまで小さなことの積み重ねでできていると考えていた訳です。その意味で今週のおとめ座もまた、老子の「明」の文脈で自分自身について改めて知っていくにはもってこいのタイミングとなっていくのではないでしょうか。
おとめ座の今週のキーワード
「汝自身を知れ」