おとめ座
強制から共生へ
「庭」を大事にしていくこと
今週のおとめ座は、「家庭」という言葉の半分を形成する「庭」のごとし。あるいは、過剰な他者との触れ合いや同調圧力を適度に間引いていこうとするような星回り。
「家」とは共同体の最小単位であり、人間同士のネットワークが発生する場ですが、現代社会ではそうした共同体的な他者との触れ合いはことごとくプラットフォームに呑み込まれ、結果として相互的な承認への欲望はYouTubeやXの滞在時間に、そこでの広告収入へとますます変換されていく流れを強めているように思います。
そうした状況下において、プラットフォームに留まっている多くの人々は、どんどん“それ以外の場所”へと移動できなくなりつつある訳ですが、そもそも共同体の原点である「家庭」のもう半分は「庭」という字で形成されていたことを、今こそ私たちは思い出さなければならないのではないでしょうか。
人間を人間たらしめる触れ合いの最大契機であると同時に、生きづらさを加速させるしがらみの根源でもある「家」に対し、「庭」は家族の、共同体の外部に半ば開かれ、つねに外なる自然や世界が到来しつつ、内部の秩序をトリックスター的に脅かしたり、刺激したりする場所です。
そして、「家」ではばらばらな考えやものの見方が良くも悪くも一つにまとまっていきやすいのに対して、「庭」ではばらばらなものがばらばらなままつながっていくような“例外”が生まれていきやすいはず。
11月27日におとめ座から数えて「世間との折り合い」を意味する10番目のふたご座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、人間とばかりつるんでいないで、いつも以上に事物とのコミュニケーションに時間を割いてみるといいでしょう。
だましだまし
例えば、奈良の里山で米と大豆と鶏卵を自給しながら他の生物と格闘しながら共生している東千茅さんを中心とするグループは、従来「里山」のイメージをことごとく覆していこうとしています。
いわく、「共生とは、一般にこの語から想起されるような、相手を思いやる仲睦まじい平和的な関係ではなく、それぞれが自分勝手に生きようとして遭遇し、場当たり的に生じた相互依存関係」であり、「里山は、歪(いびつ)で禍々しい不定形の怪物」なのだと。それでもそんな里山で、他の生物たちとなんとかやっていくには、「粗放―「穴だらけ」であること」が大事なのだと言います(『つち式 二〇二〇』)。
さて、あたりを見回してみよう。生き物たちは皆、だましだまし生きている。もちろん失敗や死はその辺に口を開けて待ち構えている。穴だらけだ。それでも生物界が大きな破綻に至りにくいのは、それぞれの繕いの応酬が絶え間なく続いているからで、繕う無数の微細な穴が大きな穴の空くのを防いでいる。大穴は小さな穴によって縫合される。団粒構造を想起したい。多くの小さな生物の働きによって、土の粒子が無数の小さな集合体となり団子状になって、そのすき間に適度な水分と養分が保持される。この豊かな穴だらけの土壌は、生物たちの捕食や分解といった他者への攻撃によって生まれる。破綻をきたさず、むしろ縫合するには、小さな孔隙/攻撃が重要なのだ。
今週のおとめ座もまた、まずは自分や生活を共にしているパートナーたちに空いている小さな穴を認めた上で、だましだまし共生していく道を見据えていきたいところです。
おとめ座の今週のキーワード
穴だらけであること