おとめ座
ぶらと世にふる
一筋の糸
今週のおとめ座は、『蓑虫のぶらと世にふる時雨哉』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、鬼の子なりに強くひたむきに生きていこうとするような星回り。
「蓑虫(みのむし)」はガの幼虫で、糸で葉や枝をつづって蓑のような巣を作るのですが、枝にぶら下がる姿はどこかさみし気で、昔から鬼の子やみなし子とも呼ばれてきました。作者はそんな蓑虫に自身を重ねている訳です。
玉虫のように美しい見た目を持って盛んに求められる訳でもなく、鈴虫のように優れた音色で人に好まれる訳でもないが、北風が吹けば南にぶらり、西風が吹けば東にぶらりといった風でこれまでも人と争うことも、大きな災難に吞み込まれることもなく、何とかやってきたのだ、と。
なお「世にふる」の「ふる」は、ぶらぶらと「振る」というのと、いくらか齢を重ねたという意味での「古る」、そしてエゴに対してセルフが働いた経験をしてきたという意味での「経る」とをかけているのだと言えます。
そして、結びの「時雨(しぐれ)」とは、心の師と仰いだ芭蕉や彼の言葉や作品のことでしょう。それは、枝から垂れた一筋の糸と似て、どんなに頼りなさげに見えても、蓑虫にとっては鉄の鎖にもまさる強さと価値を持っているのです。
11月8日におとめ座から数えて「生きた交流」を意味する3番目のさそり座後半に太陽が入り立冬を迎えていく今週のあなたもまた、周囲との比較とではなく、心から自分が従いたいと思えるものに、粛々と心通わせていくべし。
離接的偶然に導かれ
俳句であれ小説であれフィクション(虚構)は現実との関係性の中で、つねに早とちりや解釈の取り違えなど、いわゆる「誤配」の可能性を孕んでいますが、人生に必ずしもたった1つの正解などありえないように、読み手にとっての正解はあくまで読み手自身の手によって創り出されなければなりません。
例えば哲学者の九鬼周造は、単なる偶然とは区別して「離接的偶然」ということを言いだしましたが、これはもともと日本語にあった「たまたま」や「ふと」、「はずみ」、「なつかしさ」などをそれらしく言い換えたもので、ここにはある種の日本人特有の運命感覚のようなものが立ち現れているように思います。
無根拠で、必然的でもない自分が、現にいまこうして生きていることもまた、ものの「はずみ」であり、「たまたま」そうであっただけだけれど、そういう偶然を愛そう。そして、これからも「ふと」思い立ったことや、理由もなく「なつかしく」感じたことがあれば、それに身を任そう。それが例え「まちがい」だとしても。
今週のおとめ座も、どこかでそんな運命愛のようなものが湧いて、これまでしっくり来ていなかったものが腑に落ちてくるかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
運命愛