おとめ座
バグを突く
異世界への行き方
今週のおとめ座は、映画『きさらぎ駅』のごとし。あるいは、この世界にゲーム的なバグがあることを前提に生きていこうとするような星回り。
もともとネット怪談の一つとして知名度を得た『きさらぎ駅』(2004年)は、この世界のどこにも位置づけられず、どういう空間かも不明な“異世界”にどういう訳かたどり着いてしまったという投稿者の体験談(という体裁)でしたが、映画『きさらぎ駅』(2022年)では一つの設定が盛り込まれました。
それはなぜ投稿者が異世界に行ってしまったのかという問題であり、その答えは「無意味な行為のせい」でした。劇中では同じ路線の往復といったきわめて“儀礼的な動き”によって、日常世界には存在しないはずの「きさらぎ駅」に迷い込んだ葉山純子の記憶を手がかりに、民俗学専攻の大学生がみずからも「きさらぎ駅」の世界に入りこむことに成功します。
ここで興味深いのは、ここでは異世界に行く方法が象徴的でも実用的でもなければ、複雑な手順や、偶然では決して起き得ないような特殊条件を踏んでいる訳でもない、という点です。これはどこか、ゲームの“壁抜け”を連想させます。
しかしこれは『マトリックス』4部作やシュミレーション仮説のように、私たちの生きる日常世界やそれを包む時空が、ゲームのようなコンピュータープログラムによって構築された仮想空間であるならば、ゲームのバグを突く操作を実行することで、通常のプレイでは到達不可能なマップ上の地点に行くかのようにこの世界から抜け出すことも可能なのではないでしょうか。
9月7日におとめ座から数えて「リアリティの輪郭」を意味する10番目のふたご座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、この世界の定常性への不安や倦怠を何らかの形で具現化していくことがテーマとなっていきそうです。
既成の文脈を離れることの必要
村上春樹は1979年6月、『風の歌を聞け』で群像新人文学賞を受賞しデビューしましたが、その際、物語を当初は英語で書いてみたり、あるいは、いったん書いた物語をバラバラにし、シャッフルして再構成するという手続きを踏んでいったのだそうです。彼はそこで何をしようとしていたのか。それについて、彼自身の言葉で次のように述べています。
結局、それまで日本の小説の使っている日本語には、ぼくはほんと、我慢ができなかったのです。我(エゴ)というものが相対化されないままに、ベタッと追ってくる部分があって、とくにいわゆる純文学・私小説の世界というのは、ほんとうにまとわりついてくるような感じだった。(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』)
つまり、村上は日本社会に蔓延していた空気感だったり、無意識のうちに体に染み込んでいた文脈を、言葉の単位まで分解・解体し、物語を紡いでいった訳ですが、これもまたある種の“壁抜け”なのではないでしょうか。
その点、今週のおとめ座もまた、自分がこれから新たに生きようとしている文脈の端緒を、ゲームのバグを突くようにして、見つけていくことができるかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
シュミレーション仮説