おとめ座
紛れ者になっていく
ほのかな遊び心を
今週のおとめ座は、『野分やんで人声生きぬここかしこ』(原石鼎)という句のごとし。あるいは、過去を水に流して心新たに現実に相対していこうとするような星回り。
「野分(のわき)」とは台風のこと。すさまじい台風がうなりをあげている最中は、ただ恐ろしい風の音ばかりが響いていたのに、それがいったんやんでしまうと、今度は今まで聞こえなかった人の声が、あちらこちらで聞こえ始めた、というのが句の大意。
それだけの事実を詠んだ句ではありますが、自然の圧倒的な暴威の前で、あたかも死滅してしまったがごとく声を潜め、静まり返っていた人間界が、また息を吹きかえしてきた、という臨場感を、「生き」てあることの再発見に強調の「ぬ」を足した「生きぬ」という言い方で表現してみせてくれています。
これは戦争と復興であったり、より抽象的に、非日常の到来と日常の再開というテーマに重ねることもできますが、この場合の復興や再開というのは、一時的に失われたものを単に“元通りにする”というより、今までやりたくてもできなかったことを、心機一転“新たに取り入れていく”といったニュアンスが含まれているように思います。
それを踏まえた上で、改めて掲句を見てみると、後ろの「ここかしこ」という五音に、どことなくほの明るい遊び心のようなものさえ感じ取れるはず。
同様に、16日におとめ座から数えて「残夢」を意味する12番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたは、そうした意味での心機一転をはかっていくにはちょうどいいタイミングとなっていくでしょう。
「当たり前」の相対化
現代社会では移動するにも食事するにも寝泊りするにも、金で物を買わねば1日も暮らすことのできない生活を送ることが、ごく当たり前のこととして受け止められていますが、その一方で、日常のすべてを外部の産業構造にコントロールされてしまっている在り方に疑問を感じ、「心機一転」して畑を借りて自分で野菜を育ててみたり、思い切って郊外に移住して自給自足にチャレンジしようとする人もちらほら増え始めています。
しかし、そうした土着への完全な回帰というのは、特に都市圏に暮らす人にはかなりハードルが高いというのが実状でしょう。その点、江戸時代の俳聖・松尾芭蕉は、単に市井の宗匠(俳諧の先生)から脱却するだけでなく、貨幣経済としての町人文化からの脱出も併せて試みるべく、37歳になったときに旅と草庵という非定住の生き方を選択しました。
もちろん、何で喰っているのか分からないような人間は、社会を乱すような無茶苦茶なことをするリスクが高いので、相応の疑いの目が向けられることは避けられない訳ですが、そうした体験は自己を既存の社会システムから解放していく上で必ず払わなければならない代償でもあったのです。
その意味で、今週のおとめ座もまた、たとえ一時的にであれ、普段意識がそこに縛られがちな職業的な立場や身分から解き放たれていきやすいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
「紛れ」:ある事につけこんで、また、事の勢いで何かをすることの意