おとめ座
芯を通す
有名な人っていうのはたいしたことはない
今週のおとめ座は、「無名人」の理想のごとし。あるいは、真の意味で知的であろうと努めていこうとするような星回り。
精神医学者の中井久夫の膨大な仕事の1つに『私に影響を与えた人たちのことなど』というエッセイがあります。そこにはデカルトや中原中也など少年期に影響を受けた書物の話から、内外の著名な学者までさまざまな固有名詞が登場するのですが、その中に直接名指しするのを避けるような仕方で言及されている人物がひとり出てくるのです。
この先生は、無名と言えば無名の人ですが、そのころはある病院の麻酔科におられました。先生は麻酔の前に患者にどう説明するかということで術中死を少なくできるのだとこれを非常に重視しておられました。何科に行かれても通用する「臨床家」、すごい臨床眼の持ち主でした。ちなみに、あるアメリカの学者に「どうして日本の政治家は魅力がないのか。他の国ならあれくらいの政治家ばかりだと潰れてしまう」と問われて、「日本は有名な人っていうのはたいしたことはない。無名な人が偉いので、こういう人が国を支えているのだろう」と答えたことがあります。
恐らくアメリカの学者に答えたのと同じ理由で、中井はこのひとりの恩師に対して特別な仕方で言及したのでしょう。有名であることが価値を持ち、それが資本主義の論理とともに絶対視されがちな現代において、こうしたある種の東洋的な「無名人」の理想は新鮮に映ると同時に、それを著者が言葉の表面だけで語っているのではないことに気が付くはず。
すべてを語り尽くし、世間にこれを見ろと訴求して消費を促すのではなく、本当に大切なものはあえてぼかし、内に秘めることで引き継いでいく。そこには金銭的還元だけが「推し」への敬意の表し方ではないのだというメッセージも込められていらように思います。
27日におとめ座から数えて「社会参加」を意味する10番目のふたご座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、「日本は有名な人っていうのはたいしたことはない。無名な人が偉いので、こういう人が国を支えているのだろう」という中井の言葉を折りにふれて、口に出してみるといいでしょう。
芯の通った戦い方
例えば、吉本隆明は「戦後の日本には、大それたことを考えている文学者は坂口安吾と太宰治の他にはほとんどいなかった」と書いて彼らを讃えていました。
坂口安吾は、戦争中に時事的なことはほとんど書かず、その代わり戦後すぐに『白痴』を発表したのです。これは終戦間近の裏町を舞台に、主人公である映画演出家の独身男のもとに、知的に障害のある女性がころがりこんできたことがきっかけで一緒に暮らすようになり、空襲があるとうろうろと逃げまわる、その奇妙な日常について描いた作品でした。
やりきれない卑小な生活だった。彼自身にはこの現実の卑小さを裁く力すらもない。ああ戦争、この偉大なる破壊、奇妙奇天烈な公平さでみんな裁かれ日本中が石屑だらけの野原になり泥人形がバタバタ倒れ、それは虚無のなんという切ない巨大な愛情だろうか。破壊の神の腕の中で彼は眠りこけたくなり、そして彼は警報がなるとむしろ生き生きしてゲートルをまくのであった。生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生きがいだった。
これはある種の自虐でもありましたが、戦争に反対もしなければ、便乗や肯定も決してせずに距離を取っていたという点で芯が通っており、やはり坂口は真の意味で知識人的であったと感じます。
今週のおとめ座もまた、既存の思想に埋没したり、流行のそれへと安易に逃げてしまうのではなく、自分なりの仕方できちんと時代と向きあっていくべし。
おとめ座の今週のキーワード
時代と格闘する者に〇