おとめ座
レッツもの忘れ
かえっていく先
今週のおとめ座は、『うすらひは深山(みやま)へかへる花の如(ごと)』(藤田湘子)という句のごとし。あるいは、もののはずみで異界に片足を突っ込んでいくような星回り。
「うすらひ」は「薄氷」のことで早春の季語。冬のあいだ池や水たまりに張っていた氷が、春の訪れとともにいつの間にかどこかへ消えていた。そんな清新な発見を、山の奥深くへかえっていったのだろうかという幻想的な連想へとつなげた一句。
「花」とは「桜」のことで、ちょうど桜が春の深まりとともに山の標高の高いところへと咲きのぼっていく姿に着想を得たのでしょう。言われてみれば、自然の風物には必ずかえっていくべき先が用意されているものですが、ひるがえって人間はどうでしょうか。
オンラインやスマホで四六時中どこか誰かにつながり、みずからも世間に接続し続けている状態が当たり前になってしまったことで、家にいても、ベッドで寝ていても、休んだ気がしない、ホームにかえった気分にならないという人も多いはず。それはある意味で、「あの世」や「異界」のリアリティが著しく失われてしまったということとも大きく関係しているのかも知れません。
2月6日におとめ座から数えて「虚空」を意味する12番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、世間と隔絶した、しがらみから解き放たれた時空へと不意に誘われていくことでしょう。
存在の根源に触れる
禅語録だったか、それとも踊念仏の一遍上人だったか、誰の書いたどの書物かは忘れてしまったけれど、「俺は何もかも忘れてしまったよ」という一節を読んだことがあって、ああこういうことだなあと思ったことがあります。
ただ、当時は理解したことを自分の言葉で人に伝える気がなかったからなのか、それが何に対しての「こういうこと」だったのかが分からない。とはいえ、それで何が困ったかと言われれば、何も困らないような気もします。「何もかも忘れてしまった」というなまなましい感覚だけが身体に残っている。
それは存在の根源に触れるというか。自分が生まれてきた父や母について語ることを通して、父母が生まれるひとつ前の父や母や、その根源にずーっと遡っていくと、そこにカオスがある。先の言葉は、その混沌の中へ飛び込んでいくということでもあるのではないではないでしょうか。そして、そこからの眼で現実を見る。すべての始まりはそこからじゃないか、と。
今週のもおとめ座また、何かにつけてすべて忘れてしまえばいい。
おとめ座の今週のキーワード
父母未生以前本来の面目