おとめ座
苦しむことが楽しくなるまで
やるせない淋しさ
今週のおとめ座は、『いづこまで臼こかし行く枯野かな』(渡辺水巴)という句のごとし。あるいは、さりげなく流れていた人生のBGMに気が付いていくような星回り。
ひとりの男が「臼(うす)」をころがしながら、他にこれというものもない枯野のなかの道を行っているのだという。
作者はそんな何気ない光景に出くわして、どこまであの臼をこかして行くのか、それはどこまでも際限のない連続なのではないかという思いに駆られたのでしょう。
もちろん現実には転がる臼もいつかはどこかの家に達して、用を果たすのであろうことは予想されることではありますが、少なくとも作者はふとその果てしない単調な行為の繰り返しに、何とも言えないやるせない淋しさを覚えた。それがこの句の生命となって、現実とは異なる読者と共有された心象風景のなかを、どこまでもどこまでも臼をこかし行く。
それは子どもの頃に見た巨大な夕やけと同じく、私たち日本人が冬の枯野に抱く無常感の象徴であり、人生の底に流れ続けている、どこかなつかしい情緒のようなものなのではないでしょうか。
1月23日におとめ座から数えて「突き抜けた先」を意味する9番目のおうし座で約5カ月間続いた天王星の逆行が終わって順行に戻っていく今週のあなたもまた、みずからの人生の原点にして行き着く果てにある情緒のようなものと感応していきやすいはず。
人間の向上とは何か
「整体」の産みの親である野口晴哉(のぐちはるちか)は、語録集『偶感集』に収録された「雨」という断章の中で、「人間の生きているのは苦しむ為だ。その苦しむことが楽しくなる迄、生きていることを養生という」と述べています。
これに対しては、犬や猫や他の生き物はみな苦しければ逃げるのに、人間だけがそうしないのは本能が壊れているからだという指摘もあるかも知れません。しかし野口は関東大震災を経験していましたから、そのことはよく分かった上で上記のように述べたのでしょう。そして、こう続けるのです。
人間は自分の心身が苦しいことだけが苦しいのではない。他人の苦しみにも苦しむ、世界の一切の動きにも苦しむ。(中略)動物の苦しみから人間の苦しみへの展開こそ、人間の向上だ。その苦しみに徹し、苦しむことが楽しくなる迄、苦しむことだ。
すなわち、野口の説いた「養生」とは、苦しむことを拡げていくということに他ならなかったのであり、それこそが人間の歩んでいく道のりなのだというわけです。
今週のおとめ座もまた、そうして人間としての向上とは何か、歩んでいくべき道行きとはどんなものであるべきかということに、改めて意識が向かっていきやすいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
苦しむことを拡げていく道