おとめ座
いかに他人に属すか
2つの人生
今週のおとめ座は、「霧のなかで見つづけているもの」のごとし。あるいは、偽の人生をそれはそれとして認めつつも、突き放していこうとするような星回り。
ポルトガルの詩人ペソアの詩に次のようなものがあります。
私たちには誰でも二つの人生がある
真の人生は/子どものころ夢みていたもの
大人になっても/霧のなかでみつづけているもの
偽の人生は/他の人びとと共有するもの
実用生活/役にたつ暮らし/棺桶のなかで終わる生
生きるということは、多かれ少なかれ他人に属することであり、彼らと何かを共有するということに他ならず、一般的にはその共有する度合いが大きければ大きいほど、すなわち分かりやすく人気であればあるほど幸せであるとされているように思います。
しかし、ペソアはそれを「偽の人生」であり「棺桶のなかで終わる」生に過ぎないと喝破している。死ぬこともまた他人に属すことではありますが、生きることとは逆に外部からではなく内部から属すという点で違っています。
そして、死んだあとでも他の人のこころの中に生きることがあるのは、その人が他人の目を気にすることなく「子どものころ夢みていたもの」や「霧のなかでみつづけているもの」を追っていたからなのだ、と。
その意味で、12月8日におとめ座から数えて「公的表明」を意味する10番目のふたご座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が実現しようとしているのが「二つの人生」のうちのどちらかなのかを、改めて明確にしていくことがテーマとなっていくでしょう。
負け戦をこそ戦おう
岩手県遠野地方に伝わる逸話や伝承などを記した説話集として、明治43年(1910)に出版された『遠野物語』には、「この書を外国に在る人々に呈す」というじつに過激な巻頭言が付されていました。
近代日本は、それ以前の自分のありのままの姿を残酷に否定することで産声をあげましたが、農務官僚として地方の実情に直接触れてきた柳田國男には、自分のまわりにいる知識人やエリートの多くが、まるで「外国にある」人たちのように見えたのでしょう。
実際、『遠野物語』に描かれた天狗や河童や神隠しにあった子供が消えてしまった話などが展開された世界は、急速に前進しつつあった近代との激しい闘いに敗北しつつある過去の日本の姿に他なりませんでした。その意味で、『遠野物語』という時代の流れに逆行するような本を出版するという行為は激しく生々しい批判の意味を持っており、『遠野物語』は柳田の緊迫した危機意識に基づいたマニフェスト文学でもあったのです。
今週のおとめ座もまた、あえて声を大にしてでも言わなければならないことが、いよいよ自分の中から堰を切って流れ出していくことになっていくはず。反発や違和感を力に変えて、自分がどんな旗のもとに立っているかを明らかにしていくべし。
おとめ座の今週のキーワード
外部からではなく内部から他人に属すこと