おとめ座
揺れ動き、変わりつつある場所としてのわたし
完璧ではいられない世界のなかで
今週のおとめ座は、AA12のステップの導入部分のごとし。あるいは、「強い意志」などとは異なる形で自分なりの責任を引き受け直していこうとするような星回り。
ダルク(薬物依存症からの回復支援施設)をはじめとした依存症の自助グループのなかで採用されている「AA12のステップ」と呼ばれるプログラムがあります。
これはもともとアルコール依存症の自助グループ「AA(“アルコホーリク・アノニマス/匿名のアルコール依存者たち”の意)」において明文化され、回復の指標とされてきたもので、そのステップ1には「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなったことを認めた」とあります。
つまり、人は自分なりの意志をもって能動的に人生をコントロールしていくべきだし、そうすることが人としての正しい在り方であるという呪縛から降りていくことが回復と社会復帰への入り口であるのだという認識と自覚がここで促されている訳です。
それは続くステップ2の「自分を超えた大きな力が、私たちの健康な心に戻してくれると信じるようになった」や、ステップ3の「私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした」に進むことで、より明確になっていきます。ここではもはや、主体をめぐる「やった/やらされた」といった極端で硬直した対立構造が解体されつつあり、代わりに、「(自分が)変わらないままである/(何らかの影響に応じて)変わりつつある」という確認が要請されていくのです。
9月18日におとめ座から数えて「責任」を意味する10番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、まずは「100%の能動的な状態」などといった非現実的な理想形を放棄するところから、自身の在り様を見つめ直してみるべし。
泉鏡花の『夜叉ヵ池』
泉鏡花がはじめて書いた戯曲であるこの話では、異界と地上世界とが同一空間においてうすい‟皮膜”に隔てられつつ存在しているのですが、あることがきっかけで両者が接触し、地上世界は大変なことになっていきます。
度重なる水害を終息させるため、近くの山中にある夜叉ヶ池に水神を封じ込めたという歴史をもつある村では、毎日昼夜に三度鐘を鳴らさなければならない決まりになっていたのですが、我欲のために村人たちがこの約束を無視するや、背信に起こった水神が池の堰をきって村中を洪水の底に沈めてしまうのです。
この話の主人公はある意味で「倫理」であり、その象徴としての皮膜であると言っていいでしょう。人間たちの倫理性が破綻すれば、皮膜は突き破られて異界の存在である水神などの自然精霊が美しくも残酷な裁きをくだすのみ。
そこでは人間は、主人公たる倫理のつねに傍らにありながらも、どこかで疎ましく思ってしまったり、ひょんなことから裏切ってしまったりする、あくまで‟弱き存在”であり、できるのは皮膜のごとき破れやすい倫理の変化を機敏に感じ取っていくことだけでしょう。
その意味で、今週のおとめ座もまた、自分の中にまだまだ潜んでいる弱さや人間味が否が応でもあぶり出されていきやすいはず。
おとめ座の今週のキーワード
観察と応答の徹底