おとめ座
神秘は目の前に
内面の物質化
今週のおとめ座は、『月光が釘ざらざらと吐き出しぬ』(八田木枯)という句のごとし。あるいは、おのれのまなざしを冷ややかな青い月光と同一化していくような星回り。
作者は80代の老俳人ですが、掲句に表されたなまなましい幻想はどこかみずみずしく、若々しささえ感じます。
最後の「吐き出しぬ」は読むだけでも痛ましく、今にも「釘」がのどを突き破って血が噴き出してきそうな暗い予感を漂わせています。しかし、そんな光景さえ不思議と美しい。
ぶちまけた吐しゃ物である釘が、冷ややかな月光を反射してきらきらと輝いている。それは、月となり代わった作者にとっても予想外の光景であり、その「ざらざら」とした質感は、どこか作者の老いゆく自分自身との内なる不一致感や訝しみをそのまま物質化したかのようでもあります。
自由自在な幻想で一時的にであれ身体性から解き放たれてありながらも、こうして実存的な不快や不安を無視することなくジッと見つめ続ける冷徹さこそが、おそらく掲句のなまなましい描写を後ろ支えしているのでしょう。
同様に、9月10日におとめ座から数えて「客観視」を意味する7番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、いつも以上に自身の内面を生々しく捉え、表現していくことができるはず。
宗教的人間
アインシュタインは『私の世界観』という著書の中で、「われわれの経験しうるもっとも美しいものは‟神秘的なもの”である。それは真の芸術、真の科学の揺籃となる基本的感情である」と述べ、続けてこう言っています。
そのことを知らない人、不思議な思いや驚異の念にとらわれないような人は、いわば死んだも同然であり、その眼はものを見る力を失っている、と言わねばならない
神秘的なものを感じる一瞬の体験こそが宗教を生み、そして科学を生んできた訳ですが、掲句の「吐き出」され「ざらざらと」光る「釘」というのも、そうした意識の一瞬の開け、神秘的なものの現われを直截につかみとったものと言えるのではないでしょうか。アインシュタインは最後にこう結んでいます。
この意味においては、またこの意味においてのみ、私は深く宗教的人間に属する
その意味で、今週のおとめ座もまた、自分がどれだけのものを‟揺籃”しており、また新たに夢見ようとしているのか、自分なりに確かめていくといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
その眼にものを見る力を取り戻す