おとめ座
混乱体を生きる
近代の呪縛の内と外
今週のおとめ座は、能動的な主体からのはみ出し。あるいは、狂気とは別の仕方で近代的な呪縛から解き放たれていこうとするような星回り。
先日亡くなった精神医学者の中井久夫は、妄想や幻聴を伴う統合失調症は文明そのものが生じさせているのだと述べていましたが(『分裂病と人類』)、では「文明」というのは何によって特徴づけられるのかという問いに対して、例えば言語学者のバンヴェニストは「能動/受動」という対立から近代文明は生まれ、逆に文明以前には能動と中動が組み合わされて使われていたのだと考えていました(『一般言語学の諸問題』)。
中動とは自発的な知覚にもとづく表現であり、ギリシャ語やサンスクリット語の「生まれる」「眠る」「想像する」「成長する」などはどれも中動態の動詞とされています。ここでは、「動詞のあらわす過程が主語のところで起こって」いて、その「過程の中で主語が何らかの影響や変化をこうむる」のであり、これは過程に巻き込まれることなく、元のままであり続ける能動態の主語とは対照的と言えます。
つまり、文明以前の時代には、中動の形において、何か得体のしれない影響が人にやって来たり、起きたり、ふりかかったり、それで人が変わってしまったりする事態がごく自然に語られていたのに、近代以降はそれらはつねに能動的に引き起こされたものか、受動的に享受されるものかのいずれかに置き換えられてしまったと。そうして能動/受動の規制にもとづいて文明に把握されきれない事態は狂気として例外視され、排除の対象となってしまった訳です。
その意味で、19日におとめ座から数えて「自己同一性の解除」を意味する9番目のおうし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、何でもかんでも能動的に言動をコントロールしようとするのでなく、中動態的な事態を自身のうちに受け入れてみるといいでしょう。
ヒカルの「霊」体験
『ヒカルの碁』という漫画をご存知でしょうか?簡単に言えば、平安時代に平安時代に天皇の囲碁指南役をしていながらも謀略により自死した稀代の碁打ち・藤原佐為の霊が、ひょんなことから現代を生きるごく普通の少年に憑依したことがきっかけで碁を打ちはじめ、やがてみずからの意志でプロの棋士を目指すようになっていくというビルドゥングスロマンなのですが、これは今のあなたにとっても実に示唆的なストーリーとなっていくはず。
初めこそ憑りついた霊の指示に従いながら半ば嫌々碁を打っていた主人公が、次第にそこに自分のアイデアや閃きを取り入れ始め、ある時不意に霊が消えてしまったことで、その喪失感から碁自体をやめるか懊悩した挙句、再び自分の意志で碁を打つようになっていく。
主人公の成長の分岐点は、明らかにそんな「霊の喪失」にあった訳ですが、これを個人の人生に置き換えるなら、「幸運な偶然や周囲からの導きがなくなったとき、そこで自分に何ができるのか?」という問いかけになるでしょう。
そして今週のおとめ座もまた、何かが突然とりつくのであれ、とりついていたものを喪失するのであれ、それに応じて変わってきた/変わっていく自分自身という“場”におのずから湧き出てくるものを注視していきたいところ。
おとめ座の今週のキーワード
何かが「生まれてくる」過程の体験としての制作